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東福寺 (横浜市港南区)

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東福寺


山門

地図
所在地 横浜市港南区笹下5-13-20
位置 北緯35度23分25.8秒 東経139度35分49.6秒 / 北緯35.390500度 東経139.597111度 / 35.390500; 139.597111座標: 北緯35度23分25.8秒 東経139度35分49.6秒 / 北緯35.390500度 東経139.597111度 / 35.390500; 139.597111
山号 杉本山[1]
院号 三月院[1]
宗派 浄土真宗本願寺派
本尊 阿弥陀如来
創建年 972年(天禄3年)[1]
開基 護妙法印[1]
中興 北見掃部[1]
公式サイト 浄土真宗本願寺派 東福寺
法人番号 7020005001051 ウィキデータを編集
東福寺 (横浜市港南区)の位置(神奈川県内)
東福寺 (横浜市港南区)
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東福寺(とうふくじ)は神奈川県横浜市港南区笹下5丁目にある浄土真宗本願寺派の寺院。山号を杉本山(すぎもとさん)、院号を三月院(さんげついん)と号する。本尊は71センチの阿弥陀仏如来木立像[2]開基(創立者)は護妙法印。

歴史

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天禄3年(972年天台宗の僧・護妙法印が比叡山より行基作の「薬師如来像」を背負い、当地で「妙法寺一乗寺」を創建。

永暦元年(1160年)7月、10世の僧・明道のときに落雷により本堂焼失。再建が叶わぬまま長寛2年(1164年)に明道逝去。村民は小堂を建て本尊薬師如来を安置。

文治5年(1189年)に僧・密厳が、衰退を歎き堂傍に草庵を結ぶ。

密厳の弟子・密弁が親鸞の法弟となり、名を海弁と改め、浄土真宗に改宗し、それより海弁が当寺の開基になった。

杉本山の由来である杉本という地名に居住した北見掃部(きたみかもん)により中興。その居住地を山号とし、寺名は北見掃部の法名「春光院東福寿元居士」より東福寺と改める。

親鸞が東国布教のとき、3ヶ月逗留したため院号を三月院とする。

慶長の頃、第14世海順の代、塔頭憶念寺を建立したが、いつの頃か廃絶にさしかかった為、憶念寺の本尊阿弥陀仏如来を東福寺の本尊とし、古の薬師如来は笠松塚の堂内に移される。

薬師堂が火災になり、再び当寺に復したが1923年大正12年)9月1日、関東大震災で本堂が倒壊。仮本堂を第25世海旭が再建する。

2008年平成20年)より、28代住職に杉浦海一が着任[3][4]

堂宇

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関東大震災で本堂が倒壊したので25世海旭により再建され、のち1963年昭和38年)11月10日に葺屋根の本堂に新築した。

書院庫裏1922年(大正11年)の新築であり震災の被害もなく現在に至る。屋根は亜鉛葺。

鐘楼山門は瓦葺。1957年(昭和32年)に新鋳[2]

また、東福寺近辺は明治から大正時代には、横浜の花どころといわれ、花かごをせおって商いする風景がよく見られたという。東福寺の「花塚」は、村の人が花の精に感謝する気持で、作られたものとされる[5]

ほかに接待所、花塚、親鸞上人像、庚申塔がある。

歴代住職

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  • 開基「海弁」(89歳没)
  • 2世「海證」(60歳没)
  • 3世「海岸」(80歳没)
  • 4世「海善」(43歳没)
  • 5世「海祐」(51歳没)
  • 6世「海遠」(63歳没)
  • 7世「海碩」(63歳没)
  • 8世「海秀」(43歳没)
  • 9世「海弘」(41歳没)
  • 10世「海満」(63歳没)
  • 11世「海蓮」(57歳没)
  • 12世「海運」(50歳没)
  • 13世「海南」(50歳没)
  • 14世「海順」(75歳没)
  • 15世「海存」(77歳没)
  • 16世「海天」(31歳没)
  • 17世「海音」(28歳没)
  • 18世「海盤」(78歳没)
  • 19世「海専」(73歳没)
  • 20世「海印」(70歳没)
  • 21世「海忍」(37歳没)
  • 22世「海隆」(66歳没)
  • 23世「海然」(74歳没)
  • 24世「海潮」(34歳没)
  • 25世「海旭」(72歳没)
  • 26世「海春」[6]
  • 27世「?」
  • 28世「海一」

文化財・宝物

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  • 聖徳太子孝養像(厨子入・66センチ):この聖徳太子16歳の像は、親鸞が当寺逗留の際に霊夢によって仏舎利を感得し、また土中からこの像を掘り出した。北見掃部は応永10年(1403年)、一族と力を合わせて近隣の「経塚山」に太子堂を建立。天文2年(1533年)に、笹下城の領主・間宮豊前守信元も聖徳太子を信仰し、村の鎮守とした。北見掃部は、この太子堂を東福寺に寄附したが、倒壊の後は太子像は本堂に安置するようになった。
  • 浄土教曼荼羅図
  • 阿弥陀如来像

ギャラリー

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所在地

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  • 神奈川県横浜市港南区笹下5-13-20

アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c d e 新編武蔵風土記稿 雑色村.
  2. ^ a b 『区制十周年記念 港南の歴史』pp.505
  3. ^ 『区制十周年記念 港南の歴史』pp.504-505
  4. ^ 公式ウェブサイト「東福寺の歴史」
  5. ^ 港南区ウェブサイト「港南区の民話・経塚山の太子堂と東福寺」
  6. ^ 『区制十周年記念 港南の歴史』pp.505-506
  7. ^ 指定・登録文化財目録 p.8”. 横浜市教育委員会 (2018年11月5日). 2019年8月15日閲覧。
  8. ^ 『区制十周年記念 港南の歴史』pp.506

参考文献

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  • 横浜市港南区 1979年『区制十周年記念 港南の歴史』
  • 「雑色村 東福寺」『新編武蔵風土記稿』 巻ノ80久良岐郡ノ8、内務省地理局、1884年6月。NDLJP:763986/73 

関連項目

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  • 笹下城(かつて周囲は笹下城の縄張りであった)

外部リンク

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