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東特前駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東特前駅
とうとくまえ
Tōtokumae
岩下 (0.8 km)
(0.6 km) 電鉄大屋
地図
所在地 長野県上田市大屋
北緯36度22分18.6秒 東経138度17分22.5秒 / 北緯36.371833度 東経138.289583度 / 36.371833; 138.289583座標: 北緯36度22分18.6秒 東経138度17分22.5秒 / 北緯36.371833度 東経138.289583度 / 36.371833; 138.289583
所属事業者 上田丸子電鉄
所属路線 丸子線
キロ程 4.8 km(上田東起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1961年昭和36年)3月
廃止年月日 1969年(昭和44年)4月20日
備考 路線廃止に伴う廃駅
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東特前駅(とうとくまええき)は、長野県上田市大屋にあった上田丸子電鉄丸子線廃駅)である。丸子線の廃線に伴い1969年昭和44年)4月20日に廃駅となった。

急行運転列車のほかに、早朝深夜の一部の普通列車が通過した[1]

歴史

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1960年昭和35年)の上田市の工業誘致条例に伴い東京特殊電線が上田市大屋、当線の岩下駅 - 大屋駅間の付近に工場を建設したことから、通勤客のための駅として1961年(昭和36年)3月に開業した[2]。丸子線で最後に開業した駅であった[1]

年表

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駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった[2]。ホームは線路の南西側(丸子町方面に向かって右手側)に存在した[2]転轍機を持たない棒線駅となっていた[2]

開業時からの無人駅[6]で駅舎は無いが、ホーム中央部分に中丸子駅と同型の、大きな屋根待合所を有していた[2]

日本国有鉄道信越本線との並走区間にあり、丸子線の線路のすぐ北を信越本線の線路が通っていた[1][2]が、そちらにはホームなどは無かった[1][2]。電鉄大屋駅の場内信号機が附近に存在した[2]

駅周辺

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東京特殊電線の工場通勤客のために設置された駅であったため、会社休業日は信濃国分寺の八日堂縁日のある日以外は閑散としていた。

駅跡

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1996年(平成8年)時点では、確認は困難になっていた[7]。「東特前」の名は千曲バスの停留所名として残っている。

電鉄大屋駅附近から上田東方面、八日堂駅跡附近までの線路跡は、信越本線の複線化用地となり消滅し[8]、しなの鉄道下り線の敷地となっていた[1][6]

また、2007年(平成19年)8月時点では当駅附近の小川を渡る信越本線の橋脚として、丸子線時代のアーチ橋が再利用されていた[6]。2010年(平成22年)10月時点でも同様であった[1][8]

隣の駅

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上田丸子電鉄
丸子線
岩下駅 - 東特前駅 - 電鉄大屋駅

脚注

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  1. ^ a b c d e f 書籍『新 消えた轍 5 上信越』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2011年2月発行)28-29,34ページより。
  2. ^ a b c d e f g h 書籍『RM LIBRARY 73 上田丸子電鉄(上)』(著:宮田道一、諸河久、ネコ・パブリッシング2005年9月発行)11,21ページより。
  3. ^ a b 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 6 北信越』(監修:今尾恵介新潮社2008年10月発行)42ページより。
  4. ^ a b 書籍『新 消えた轍 5 上信越』(著:寺田裕一、ネコ・パブリッシング2011年2月発行)27-28ページより。
  5. ^ 書籍『私鉄の廃線跡を歩くII 関東・信州・東海編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年1月発行)165ページより。
  6. ^ a b c 書籍『私鉄の廃線跡を歩くII 関東・信州・東海編』(著:寺田裕一、JTBパブリッシング、2008年1月発行)64-67ページより。
  7. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くII』(JTBパブリッシング1996年9月発行)89ページより。
  8. ^ a b 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く3 北陸・信州・東海編』(JTBパブリッシング2010年4月発行)72ページより。

関連項目

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