東明駅
東明駅 | |
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東明駅跡 | |
とうめい Tōmei | |
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所在地 | 北海道美唄市東明5条2丁目 |
所属事業者 | 三菱鉱業 |
所属路線 | 美唄鉄道線 |
キロ程 | 3.7 km(美唄起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面2線 |
開業年月日 | 1948年(昭和23年)1月10日 |
廃止年月日 | 1972年(昭和47年)6月1日 |
備考 | 路線廃止に伴い廃駅 |
東明駅(とうめいえき)は、かつて北海道美唄市東明5条2丁目に存在した三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の駅(廃駅)である。
概要
[編集]1972年(昭和47年)5月31日まで運行していた三菱鉱業美唄鉄道線(美唄鉄道)の鉄道駅であり、美唄駅から3番目の駅であった。美唄市の東明地区に位置し、当鉄道が運行されていた頃は地域住民の最寄駅となっていた。
東明地区は第二次世界大戦前は「しののめ」と呼ばれていたが、1948年(昭和23年)の駅開設により「とうめい」と呼ばれるようになった[1]。
1972年(昭和47年)の廃線により三菱鉱業から駅舎と鉄道関係資料が寄贈された[1]。国鉄4110形蒸気機関車の同形機である2号機関車が保存展示されており、美唄市の観光名所の一つとなっている。
歴史
[編集]太平洋戦争後、この地区に三井新美唄炭砿の炭鉱住宅が置かれ、急速に人口が増えた。このため住民及び三井鉱山の請願によって当駅が設置された。
年表
[編集]- 1948年(昭和23年)1月10日:美唄鉄道の駅として東明駅(停留所)開設。駅舎設置[2]。
- 1950年(昭和25年)4月25日:三菱鉱業美唄鉄道の駅となる。
- 1965年(昭和40年)5月20日:委託駅となる。
- 1970年(昭和45年)10月1日:無人化。
- 1972年(昭和47年)6月1日:三菱鉱業美唄鉄道線廃止により廃駅。
駅構造
[編集]1962年(昭和37年)の時点で、駅舎は美唄に向かって左手南側の構内美唄寄りに置かれ、駅舎前を通る貨物積卸線を挟んでホーム上駅舎に近い位置に上屋を持つ島式ホーム1面2線を有し、駅舎からホーム美唄側端へ構内踏切で連絡した。また駅舎の右側は広い空き地になっており、貨物用の上屋もあった。配線は駅裏側が本線と直線の棒線状に近く、駅表側2線が片開分岐で分岐する構造であった[3]。
利用状況
[編集]乗車人員推移 | |
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年度 | 1日平均人数 |
1951 | 1,762[4] |
1960 | 1,594[4] |
1965 | 391[5] |
1966 | 475[5] |
駅跡
[編集]当駅跡地では、2006年(平成18年)に『東明駅保存会』が活動し、駅舎の保存と一般開放などを行っている。当地へのアクセスは、美唄市民バス美唄駅より『アルテピアッツア』行きバスに乗り、『東明5条』下車。
東明駅舎
[編集]1946年(昭和21年)に完成された東明駅の駅舎は、三菱鉱業美唄鉄道線廃止後、美唄市に寄贈され、保存されて現在に至る。なお、美唄鉄道の駅舎で残っているのは当駅のみである。
蒸気機関車展示
[編集]かつて実際に三菱鉱業美唄鉄道線で運行していた、国鉄4110形蒸気機関車と同形の2号機関車が東明駅舎近くで保存公開されているが、日本で唯一公開されている4110形機関車でもある。
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駅跡に保存されている美唄鉄道2号機(1999年)
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東明駅跡に展示されている2号機関車
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同機の近況(2024年)
プラットホーム
[編集]プラットホームも分かるような形で残されている[6]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 基礎資料 歴史遺産の概要 北海道空知総合振興局、2022年1月23日閲覧。
- ^ そらち 産業遺産と観光 美唄鉄道東明駅舎
- ^ 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1962年撮影航空写真 MHO622-C1-26
- ^ a b 美唄市百年史 通史編 P1078。
- ^ a b 美唄市百年史 通史編 P1379。
- ^ 61℃ - 三菱鉱業美唄鉄道
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- そらち 産業遺産と観光 美唄鉄道東明駅舎 - ウェイバックマシン(2008年12月4日アーカイブ分)