コンテンツにスキップ

東京市街鉄道1001形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東京市街鉄道1001形電車
基本情報
運用者 東京市街鉄道→東京鉄道→東京市電気局
製造所 大塚工場
製造年 1906年 - 1907年
製造数 100両
廃車 1927年
主要諸元
軌間 1372 mm
電気方式 直流600V架空電車線方式
車両定員 66人(座席定員26人)
自重 9.5 - 10.5t
最大寸法
(長・幅・高)
10975mm×2184mm×3467mmまたは3570mm
車体 木造
台車 ブリル22E
主電動機 GE1000
主電動機出力 26.1キロワット
搭載数 2基 / 両
駆動方式 吊り掛け駆動方式
歯車比 83:15
制御装置 B18
制動装置 手ブレーキ発電ブレーキ
備考 『都電60年の生涯』192 - 195頁「都電車両諸元表」より
テンプレートを表示

東京市街鉄道1001形電車(とうきょうしでんききょく1001がたでんしゃ)は、1906年(明治39年)に登場した東京市街鉄道路面電車車両。

概要

[編集]

1906年(明治39年)から1907年(明治40年)にかけて、東京市電の前身である東京市街鉄道(街鉄)の木造ボギー車として大塚工場[1]で 1001 - 1100 の100両が製造された。モニタールーフに吹きさらしのオープンデッキという当時の典型的なスタイルで、同社の四輪単車(251形)の車体をそのまま延長したような形態である。

台車は製造当初はブリル22E[1]マキシマム・トラクション台車を装備し、後年ブリル76EまたはD4形に交換された。制御装置など電装品はいずれもゼネラル・エレクトリック社製で、主電動機は出力26.1kWのものを各台車に1基ずつ搭載していた。集電装置はトロリーポールで、製造当初は架空複線式のため集電用と帰線用の2本が車体中央部の屋根上に設置されていた。

沿革

[編集]

当初は街鉄1001形として1906年(明治39年)に製造が開始されたが、街鉄は同年に東京電車鉄道、東京電気鉄道と合併して東京鉄道が発足したため、1001 - 1061の61両は街鉄時代に、1062 - 1100の39両は東京鉄道発足後に竣工した[2]1911年(明治44年)の市営化により東京市電気局(後の東京都交通局)に承継された後も原番号を引き継いだが、1101形や1121形との区別のため「ボギーのホ」「東京市街鉄道のシ」から「ホシ形」[3]という通称が与えられた。老朽化に伴う車体更新は行われなかったが、ベスチビュール(前面窓)の設置や台車の交換などの改善は行われた。

1923年(大正12年)の関東大震災では58両が焼失し、その他にも大正年間を通じて車庫火災により13両が焼失している[4]。震災後の1925年(大正15年)、市電気局は欠番の多くなった車両番号の整理を実施し、1001形は1101形の残存車とともに1900形に改番される予定であったが、実際には改番が実施されないまま1927年(昭和2年)までに全車廃車された。他社局へ譲渡されたり、保存された車両は存在しない。

出典

[編集]
  1. ^ a b 『都電60年の生涯』192 - 195頁
  2. ^ 『鉄道ピクトリアル』614号43頁
  3. ^ 『都営交通100周年都電写真集 都電』140頁
  4. ^ 『都電車両総覧』178 - 179頁

参考文献

[編集]
  • 江本廣一『都電車両総覧』 大正出版、1999年
  • 江本廣一「東京市電〜都電 車両大全集」『鉄道ピクトリアル』1995年12月(通巻614号)、鉄道図書刊行会
  • 『都電60年の生涯』 東京都交通局、1971年
  • 『都営交通100周年都電写真集 都電』 東京都交通局、2011年