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東京丸 (日本郵船)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東京丸
基本情報
船種 貨客船
船籍 日本
所有者 郵便汽船三菱会社
日本郵船
運用者 郵便汽船三菱会社
日本郵船
 大日本帝国陸軍
建造所 Napier, Shanks & Bell
母港 東京港/東京都
信号符字 HGBV[1]
IMO番号 952(※船舶番号)[1]
経歴
進水 1884年11月18日[1]
竣工 1885年5月[1]
就航 1886年10月
最後 1900年4月1日座礁沈没
要目
総トン数 2,194トン[2][3][4]
垂線間長 87.52m[2][3]
7.13m[3]
深さ 5.72m[3]
主機関 二連成レシプロ機関 1基[4]
推進器 1軸
出力 211NHP[1][3]
279SHP[2]
速力 11ノット[2][3]
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東京丸(とうきょうまる)は郵便汽船三菱会社、日本郵船の貨客船[2]

船歴

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1885年(明治18年)、郵便汽船三菱会社向けにグラスゴーのNapier, Shanks & Bellで建造[3]。同年9月29日、郵便汽船三菱会社は共同運輸と合併して日本郵船となり、「東京丸」も日本郵船に継承された[5]

1886年(明治19年)10月から「東京丸」は横浜・上海間の航路に就航した[6]

日清戦争時、陸軍に徴傭された(1895年1月5日徴傭、同年10月26日解傭)[7]

1896年(明治29年)、日本郵船はオーストラリア航路を開設し、「東京丸」は同航路に「山城丸」、「近江丸」に次いで第3船として就航した[8]。オーストラリア航路就航船は1898年(明治31年)11月以降順次同航路用に新造された「春日丸」、「二見丸」、「八幡丸」に代わった[9]

濃霧の中芝罘から天津へ向けて航行中の1900年(明治33年)4月1日午前0時過ぎに「東京丸」は廟島列島長山島の北東端で座礁し、その後沈没した[10][11]。5名が溺死した[12]

脚注

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  1. ^ a b c d e 東京丸”. なつかしい日本の汽船. 長澤文雄. 2023年8月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e 茂在寅男「東京丸」『日本大百科全書(ニッポニカ)』小学館、コトバンク(2023年5月18日閲覧)
  3. ^ a b c d e f g 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』40ページ
  4. ^ a b 『七十年史』676ページ
  5. ^ 『七十年史』21-23、676ページ
  6. ^ 『七十年史』30ページ
  7. ^ 『日本郵船株式會社五十年史』129ページ
  8. ^ 『七十年史』72-73ページ
  9. ^ 『日本郵船株式會社五十年史』151ページ、『七十年史』73ページ
  10. ^ 『日本郵船株式會社五十年史』685ページ、『審判裁決錄 明治三十三年分』188-189ページ
  11. ^ 日本郵船『七十年史』676ページの創業当時の継承船舶の表の備考欄には明治33年4月25日沈没とある。
  12. ^ 『日本郵船株式會社五十年史』685ページ

参考文献

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  • 木津重俊(編)『日本郵船船舶100年史』世界の艦船・別冊、海人社、1984年、ISBN 4-905551-19-6
  • 日本郵船株式會社(編)『日本郵船株式會社五十年史』日本郵船、1935年
  • 日本郵船株式会社(編)『七十年史』日本郵船、1956年
  • 『審判裁決錄 明治三十三年分』遞信省管船局、1903年