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村越襄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

村越 襄(むらこし じょう、1925年 - 1996年[1])は、日本アートディレクター、フォトディレクター。

来歴

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  • 1925年(大正14年) - 神奈川県横浜市で生誕。西洋画日本画を学ぶ[1]
  • 1945年(昭和20年) - 出征。沖縄県宮古島で終戦[1]
  • 1946年(昭和21年) - 復員。その後、日本ビクター株式会社(現・株式会社JVCケンウッド)宣伝部に勤務[1]
  • 1951年(昭和26年) - 株式会社ライトパブリシティの創立に参加。アートディレクターとなる。この頃に、茅ヶ崎市東海岸に転居した(その後、藤沢市片瀬山に転居)[1]
  • 1977年(昭和52年) - ライトパブリシティを退社し、株式会社村越襄デザイン室を設立。
  • 1996年(平成8年) - 藤沢市で没(71歳)。

作品

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亀倉雄策(アートディレクション)、早崎治(写真)との協働による、1962・1963年の東京オリンピックポスター(第2号・第3号)に参加(フォトディレクション[2][3]

まだ大学生だった三宅一生に声を掛け、東洋レーヨン(現・東レ株式会社)のカレンダー(1963年版)のための衣装制作を、アートディレクターとして依頼したこともあった[4]

晩年は5年をかけ、日本への古典回帰ともいうべき「蓮華幻相」(れんかげんそう)の制作に取り組んだ[5]

美男子との評もあり[6][7]、「COMME des GARCONS HOMME No.5 1981年5号」では自身がモデルも務めた[8]

関連文献

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  • 『村越襄(ggg Books 世界のグラフィックデザイン)』(DNP文化振興財団、2013年10月) ISBN 978-4-88752-377-7
  • 雑誌ハイファッション 1977/8 NO.90 メンズ・ワードローブ~私の着心、私の考え:村越襄~

脚注

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