村田四郎
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村田 四郎(むらた しろう、1887年9月2日 - 1971年2月7日)は、日本の神学者、牧師、明治学院5代目院長。
経歴
[編集]村田沰冶の四男として山口県吉敷郡山口に生まれた[1]。1911年6月明治学院神学部を卒業した。その後1912年9月に渡米してオーバン神学校で学んだ。1916年に帰国し、大阪同志館神学校教授に就任した[2]。1918年に母校の明治学院に来任し、翌年中学部長となる[3]。しかし、1920年に起きた中学部同盟休校事件の責任をとり部長を辞任し、朝鮮の大邱教会牧師となった[4]。
1925年に明治学院に戻り、神学部で基督教史を担当した[5]。1930年の明治学院神学部廃止後日本神学校教授となり、1933年に同校校長となる[1]。さらに1943年、日本東部神学校初代校長に就任し、翌年日本基督教団教学局長に転じた[6]。
1948年4月、矢野貫城の後継者として、明治学院第5代目院長になる[7]。翌年には明治学院大学学長を兼任した[8]。1953年に指路教会牧師[1]、1955年に日本聖書協会理事長に就任[1]。1957年3月明治学院院長を辞任[9]。1959年に関東学院大学神学部教授となった[1]。1970年にキリスト教功労者を受賞[10]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 橋本学「『明治学院百年史』」『アジア教育史研究』第18巻、アジア教育史学会、2009年、85-87頁、doi:10.34451/asiakyouikushi.18.0_85、ISSN 09185607、NAID 130007965718。
- 日本キリスト教歴史大事典編集委員会『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年。ISBN 9784764240056。 NCID BN01982222。全国書誌番号:88051318。
- 中村敏 『日本プロテスタント神学校史』 いのちのことば社、2013年 ISBN 978-4264031673
先代 高倉徳太郎 |
日本神学校長 1933年 - 1943年 |
次代 廃校 |
先代 新設 |
日本東部神学校長 1943年 - 1944年 |
次代 桑田秀延 |
先代 矢野貫城 |
明治学院長 1948年 - 1957年 |
次代 都留仙次 |