村田信乃
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村田 信乃(むらた しの[1]、1875年(明治8年)7月15日[2] – 1952年(昭和27年)8月23日[3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。山口県防府市長。
経歴
[編集]山口県佐波郡、後の右田村(現防府市)で、旧長州藩士村田義信の長男として生まれた[3]。1895年(明治28年)に陸軍士官学校(6期)を卒業し、歩兵少尉に任官[1][2]。1901年(明治34年)に陸軍大学校(15期)を卒業し、参謀本部に出仕した[2]。日露戦争に近衛師団参謀として出征[4]。歩兵第38連隊長、第16師団参謀長、朝鮮総督府附武官、同御用掛を歴任し、1918年(大正7年)9月、陸軍少将に進み、1919年(大正8年)11月、歩兵第26旅団長に就任[1][5]。シベリア出兵に出征し、ウスリー沿線の討伐作戦に従事[4]。1923年(大正12年)に陸軍中将に昇進[5]と同時に待命となり[1]、同年9月に予備役に編入された[1][5]。
その後、1944年(昭和19年)に防府市長に選出された[6]。市長は翌1945年(昭和20年)まで務め、戦後、公職追放となった[7]。
栄典
[編集]親族
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第13版(下)』人事興信所、1941年。
- 『日本の歴代市長 第3巻』歴代知事編纂会、1985年。
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年 。
- 末弘錦江『防長人物百年史』山口県人会、1967年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。