村山幸次郎
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村山 幸次郎(むらやま こうじろう、1834年(天保5年)[1] - 1892年(明治25年)[1])は、日本の建築技師。
経歴
[編集]1873年から内匠課へ出仕、その後1884年、箱根塔ヶ島離宮の日本館の建築を担当する[1][注 1]。
その後、内匠六等属、匠手、内匠互寺技手を経て、1889年、内匠寮技手となる[1]。 また同年、赤坂離宮内花御殿御車寄せの新築を担当、これはのちに田母沢御用邸に移築された[1]。1890年には高輪御殿とも称し、昭和天皇の皇太子時代の東宮御所となった常宮御殿の新築を担当した[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- コンドルの初期邸宅建築に関する研究・I : 有栖川宮邸 小野木 重勝 日本建築学会構造系論文集 196(0), 73-81,95, 1972
- 鈴木博之監修、内匠寮の人と作品刊行委員会編『皇室建築 内匠寮の人と作品』建築画報社、2005年。
- 小沢朝江、「明治宮殿造営組織における図工の職務と就業状況」 『日本建築学会技術報告集』 2013年 19巻 42号 p.757-760, doi:10.3130/aijt.19.757
- 小野木重勝、皇居造営機構と技術者構成 『日本建築学会論文報告集』 1972年 195巻 p.75-81,98, doi:10.3130/aijsaxx.195.0_75