コンテンツにスキップ

村上敬次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
村上敬次郎

村上 敬次郎(むらかみ けいじろう、嘉永6年9月4日1853年10月6日)- 昭和4年(1929年2月15日[1])は、安芸国(現:広島県)出身の官僚大日本帝国海軍軍人貴族院議員、男爵、勲一等旭日大綬章。

経歴

[編集]

1853年広島藩士堀尾笑石の二男として生まれ、のち広島藩家老東城浅野家の用人、村上邦裕の養子となる。広島藩学問所(現:修道中学校・高等学校)にて洋学を学び、1866年藩命にて渡正元ら洋学生50名と江戸に遊学。このとき引率したのが山田十竹、­伴資健[2]。1871年海軍兵学寮の留学生として海軍伝習のためイギリスに留学。1874年に帰国し、広島英語学校教員となる。1876年海軍省入省、その後海軍少書記官、軍大臣秘書官、呉鎮守府監督部長、海軍省経理局長を務めた後、1897年主計総監となり、1909年予備役に編入。1904年の日露戦争では大本営海軍経理部長として従軍した。1907年日露戦争、海軍関連法律整備の功により男爵。1909年12月21日、勅選により貴族院議員[3][4][5]となり、研究会に所属し[1]、1926年6月7日まで在任[6]。1906年勲一等旭日大綬章受章。

栄典

[編集]
位階
勲章

親族

[編集]
  • 村上隆吉 - 長男。農商務省特許局長官・水産局長。帝国水産会会長。
  • 村上鶴 - 妻。広島藩士田口牛之助の三女。参天製薬の創業者田口謙吉は二男であり、敬次郎とは義兄弟の間柄。
  • 村上雅代 - 長女。福田徳三の最初の妻。後に離婚。

脚注

[編集]
  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』170頁。
  2. ^ 修道中学校・高等学校「修道開祖の恩人山田十竹先生物語」平成24年版33頁
  3. ^ 村上 敬次郎とは - コトバンク
  4. ^ 修道中学校・高等学校「修道開祖の恩人山田十竹先生物語」平成24年版33頁・59頁
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、18頁。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、36頁。
  7. ^ 『官報』第5644号「叙任及辞令」1902年5月1日。
  8. ^ 『官報』第7165号「叙任及辞令」1907年5月21日。
  9. ^ 『官報』第7581号「叙任及辞令」1908年10月1日。
  10. ^ 『官報』第1858号「叙任及辞令」1918年10月11日。
  11. ^ 『官報』第2974号「叙任及辞令」1893年5月31日。
  12. ^ 『官報』第4156号「叙任及辞令」1897年5月13日。

参考文献

[編集]
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

関連項目

[編集]


日本の爵位
先代
叙爵
男爵
村上(敬次郎)家初代
1907年 - 1926年
次代
村上隆吉