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李逸洋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
李 逸洋
Lee I-yang
駐日代表就任にあたって公開された公式写真(2024年)
生年月日 (1955-06-28) 1955年6月28日(69歳)
出生地 中華民国の旗 中華民国 台湾省基隆市
出身校 中華民国の旗 国立台湾大学
所属政党 民主進歩党
配偶者 林淑瑾

在任期間 2024年9月9日 - 現職
総統 頼清徳

在任期間 2017年3月1日 - 2020年9月1日
総統 蔡英文

在任期間 2016年5月20日 - 2017年3月1日
総統 蔡英文

内閣 第1次蘇貞昌内閣
第2次張俊雄内閣
在任期間 2006年1月25日 - 2008年5月20日
総統 陳水扁

在任期間 2005年2月1日 - 2006年1月25日
主席 陳水扁

その他の職歴
中華民国の旗 中華民国
総統府資政

2021年2月9日 - 2024年5月19日
中華民国の旗 中華民国
行政院人事行政総処処長

2002年2月1日 - 2005年2月1日
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李逸洋
職業: 政治家
各種表記
繁体字 李 逸洋
簡体字 李 逸洋
拼音 Lǐ Yìyáng
ラテン字 Li Iyang
和名表記: り・いつよう
発音転記: リー・イーイアン
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李 逸洋(り いつよう、1955年民国44年〉6月28日 - )は、中華民国台湾)の政治家。同国の駐日代表を務めている。これまでに考試院副院長、内政部長を歴任した[1]

台北市立成功中学を卒業後、国立台湾大学に進学し政治学部を卒業、大学院の政治研究所修士課程を修了した。1986年民国75年)6月、台北市議会議員だった李逸洋は、同じく台北市議会議員であった陳水扁黄天福中国語版らと蓬莱島事件中国語版で逮捕され、刑に服した。この3人は「蓬莱島三君子」と呼ばれている。

出所後は、立法委員であった呉淑珍を補佐した。その後、民主進歩党文宣部主任となった後、1989年(民国78年)から1997年(民国86年)まで台北市議会議員を2期務め、1997年には当時台北市長だった陳水扁から市政府の民政局長に抜擢された。2000年中華民国総統選挙では、陳水扁選挙本部の副総幹事兼スポークスマンを務めた。

陳水扁が総統に就任すると内政部政務部長に就任し、2002年(民国91年)には行政院人事行政局の局長となった。2005年(民国94年)からは民進党秘書長を務め、2006年(民国95年)1月から2008年(民国97年)5月まで内政部長を務めた。

2024年(民国113年)8月16日総統府は李を台北駐日経済文化代表処代表(駐日代表)に任命する人事を発表した[2]

脚注

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  1. ^ 李逸洋・駐日代表のプロフィール”. 台北駐日経済文化代表処 (2024年8月16日). 2024年8月16日閲覧。
  2. ^ “台湾の駐日代表に李逸洋氏 総統府が正式発表 日本語猛勉強中、「1日10時間」の日も”. 産経新聞. (2024年8月16日). https://www.sankei.com/article/20240816-PLTPQWVHOVIF5ATQULPYAX7TZQ/ 2024年8月17日閲覧。 
 中華民国の旗 中華民国
先代
蘇嘉全
内政部長
2006年 - 2008年
次代
廖了以