李洪九
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李 洪九 이홍구 | |
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生年月日 | 1934年5月9日(90歳) |
出生地 | 日本統治下朝鮮、京畿道高陽郡 |
出身校 |
ソウル大学校法科大学 エモリー大学 イェール大学 |
現職 |
学者 政治家 |
所属政党 | 民主自由党 |
在任期間 | 1994年12月17日 - 1995年12月17日 |
元首 | 金泳三 |
在任期間 | 1994年4月30日 - 1994年12月16日 |
元首 | 金泳三 |
在任期間 | 1988年2月25日 - 1990年3月18日 |
元首 | 盧泰愚 |
李 洪九(イ・ホング、1934年(昭和9年)5月9日 - )は、大韓民国の学者、政治家。
本貫は全州李氏。京畿道高陽郡(現在のソウル市恩平区)出身[1]。
生涯
[編集]京畿高等学校を卒業。ソウル大学校法科大学に進学。エモリー大学に留学し、政治学を専攻。イェール大学で政治学の博士号を取得。
エモリー大学教授を務めた後に1968年に帰国し、ソウル大学校政治学科の教授に着任。1988年から1990年まで国土統一院長官、1991年から1993年まで駐英大使、1994年に統一院長官兼副総理、1994年から1995年まで国務総理を務めた。
1996年、当時与党の新韓国党から全国比例区で第15代国会議員に当選。新韓国党代表となり、一時は金泳三大統領の後継候補に挙論された。だが1996年12月の労働法改正案強行採決が国民の反発を買い、新韓国党代表を辞任した。
1998年から2000年まで、金大中政権で駐米大使を務めた。
2019年10月10日、徴用工訴訟問題や日韓貿易紛争で日韓関係が悪化する中、他の政界、宗教界、学会関係者らとともに安倍晋三首相に対話促す声明を発表。輸出規制の廃止や憲法の維持などを求めた[2]。
脚注
[編集]- ^ “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2022年3月11日閲覧。
- ^ “韓国重鎮ら、安倍首相に対話促す 即位礼正殿の儀を機に”. 朝日新聞 (2019年10月11日). 2019年10月11日閲覧。
参考資料
[編集]公職 | ||
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先代 李栄徳 |
大韓民国国務総理 第28代:1994 - 1995 |
次代 李寿成 |
先代 李栄徳 |
大韓民国統一院長官 第20代:1994 |
次代 金悳 |
先代 許文道 |
大韓民国国土統一院長官 第14代:1988 - 1990 |
次代 洪性澈 |
外交職 | ||
先代 呉在熙 |
在イギリス大韓民国大使 第12代:1991 - 1993 |
次代 盧昌熹 |
先代 朴健雨 |
在アメリカ合衆国大韓民国大使 第17代:1998 - 2000 |
次代 梁性喆 |