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李 勇九(リ・ヨング、朝鮮語: 리용구、1915年1月19日[1] - 1970年2月10日[1])は、朝鮮民主主義人民共和国の法曹。最高裁判所(現・中央裁判所)長。
咸鏡北道出身。1931年に少年先鋒隊中隊長を務め、同年9月には反帝青年同盟、農民協会でも活動し、延吉県(現・竜井市)依蘭溝農民協会5号村の責任者を務めた。反日人民遊撃隊に入隊したほか、東満公聴特別委員会交通処責任者、朝鮮革命博物館副館長、最高裁判所長などを務めた。1970年に死去。愛国列士陵に埋葬された[1]。
- ^ a b c “리용구” (朝鮮語). terms.naver.com. 2024年4月17日閲覧。