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杉野英実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

杉野 英実(すぎの ひでみ、1953年5月5日 - )は、日本のパティシエ。京橋「HIDEMI SUGINO」(イデミ・スギノ)オーナーシェフ。日本を代表する菓子職人の一人である[要出典]

経歴

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1953年、三重県生まれ[1]。中学2年生の時、誕生日のお祝いに母がプレゼントしてくれたアンドレ・ルコントのケーキに感激し[2]、菓子職人を志す。1973年、ホテルオークラ東京の調理部製菓部門に入社[1][2]。フランス語学校にも通い、渡仏を目指していた[2]。1979年、念願の渡仏を果たす[2]。アルザスのホテル、スイスのホテル、レストランでデザートを担当[2]。パリでは「ジャン・ミエ」「モデュイ」「ペルティエ」と名店を渡り、最新のフランス菓子づくりを吸収する[2]。修業の傍ら、フランスのエコール・ルノートル、スイスのリッチモントと製菓学校でも研鑽を積んだ[要出典]

1982年に帰国し[2]、名古屋「パティスリー・ポン・デザール」のシェフを務める[2]。1986年、代官山「ピエール・ドオール」のシェフを務める[2]。1990年退社。

1991年、パティシエの世界大会であるクープ・ド・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー[注釈 1]に日本チームリーダーとして参加し[1]、日本チームを優勝に導く[1][注釈 2]

1992年、神戸北野に「パチシエ イデミスギノ」を開店[2]。1999年、著書『素材より素材らしく』が世界料理書フェアー・日本語部門において最優秀賞を受賞[1]。2000年、ルレ・デセールの日本人初の会員となる[1][注釈 3]

2001年「パチシエ イデミスギノ」を閉店。2002年東京京橋に「イデミ スギノ」を開店[2]

2015年、ルレ・デセールを後進に引き継ぐ為、退会[1]。同年『アジアのベストレストラン 50』でアジアベストペイストリーシェフ賞を受賞[1]

2018年、グルマン世界料理本大賞にて、著書『進化する菓子~TASTE IN PROGRESS~』がワールド部門審査員特別賞を受賞[1]。同年、第9回辻静雄食文化賞の専門技術者賞を受賞[1]

2022年4月30日、東京京橋の「イデミ スギノ」が都市計画予定地区および店舗契約満了にともない閉店。

洋菓子の特徴

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ショートケーキシュークリームなどの定番菓子は一切置いていない[2]。ほぼ全てが彼のオリジナル菓子である。

生菓子はムース系が中心で、口溶け・味わいを重視するためにギリギリの量しかゼラチンを加えない。そのため、持ち帰り時間に制限のある菓子が多くイートイン限定のものもある。また、菓子の鮮度にも徹底してこだわっており、生菓子は当日限り、焼き菓子もこまめに焼いて2 - 3日おきに補充しているという。

代表的な洋菓子

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  • アンブロワジー - 1991年に考案された[3]。チョコレートムース、ピスタチオムース、ピスタチオのスポンジ、木いちごのジャム、チョコレートのスポンジ、そして染み込ませたリキュールから成り、輪島塗の黒をイメージしたグラッサージュがかけられている[3]。ケーキ自体が繊細なため持ち帰りは出来ず、店内の喫茶スペースでのみ食す事ができる。アンブロワジーとは「神々が食するもの」の意味[3]
  • エベレスト - チーズのムースの中にベリーのソースを入れ、生クリームで包んだケーキ。アンブロワジー同様喫茶スペース専用のケーキ。
  • スーボア - カシスのムースの中にキルシュ風味のババロアが入ったケーキ。

店名の由来

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東京・京橋にある『HIDEMI SUGINO』だが、読みは『イデミスギノ』である。フランス語では語頭のHを発音しないため、このような読みとなる。

出版書籍

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  • 『市場からの菓子』中央公論社、1989年10月
  • 『素材より素材らしく』柴田書店、1998年11月
  • 『杉野英実のデザートブック』柴田書店、2003年1月
  • 『シンプルでも素材らしく』柴田書店、2013年4月
  • 『進化する菓子~TASTE IN PROGRESS~』柴田書店、2017年9月

脚注

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注釈

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  1. ^ クープ・ド・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーは、パティシエの世界大会。国際外食産業見本市のメインイベントの一つ。
  2. ^ 日本代表チームのテーマは「翼あるもの」。このとき出品した「アンブロワジー」はアントルメ(いわゆるホールのケーキ)部門でグランプリを獲得した。なお、この大会には第1回大会優勝のフランスも出場(準優勝)しており、前回大会優勝国が次回大会に出場しないのは最近のことである。[要出典]
  3. ^ 2018年現在は7人の日本人が会員となっている[要出典]

出典

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関連項目

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