コンテンツにスキップ

杉溪由言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
杉溪由言
すぎたに よしとき
生年月日 1892年11月13日
没年月日 (1965-05-03) 1965年5月3日(72歳没)
出身校 東京帝国大学文学部史学科(国史学)卒業
(現東京大学文学部)
東京帝国大学法学部政治学科卒業
(現東京大学法学部)
前職 東京電燈社員
所属政党 公正会
配偶者 杉溪尚子
杉溪弥栄子
子女 長男・杉渓一言
親族 父・冷泉為勇(貴族院議員)
養父・杉溪言長(貴族院議員)
伯父(叔父)・土御門晴榮(貴族院議員)
義弟・大木喜福(貴族院議員)

在任期間 1932年7月10日 - 1947年5月2日
テンプレートを表示

杉溪 由言(杉渓、すぎたに よしとき、1892年明治25年)11月13日[1] - 1965年昭和40年)5月3日[1][2])は、大正・昭和期の政治家奈良華族貴族院男爵議員。旧名・冷泉為由[1]

経歴

[編集]

華族冷泉為勇の長男として生まれ、男爵杉溪言長の養子となる[1][3]1915年(大正4年)6月16日、由言と改名[4]。養父の隠居に伴い、1929年(昭和4年)10月1日、男爵を襲爵した[1][3][5]

1919年(大正8年)7月、東京帝国大学文学部史学科(国史学)を卒業し[2][3][6]、さらに1922年(大正11年)同法学部政治学科を卒業した[2][3]。同年、東京電燈に入社した[2]。また、歌会始講師、同奉行、御歌所参候などを務めた[2][3]

1932年(昭和7年)7月10月、貴族院男爵議員に選出され[7][8]公正会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで二期在任した[2]。その他、中央電力調整委員会委員、有機合成事業委員会委員、司法省委員、日本産金振興 (株) 設立委員などを務めた[2]。墓所は多磨霊園

親族

[編集]
  • 先妻:尚子(たかこ、森田正縄長女)[1]
  • 後妻:弥栄子(やえこ、山口圭蔵二女)[1]
  • 長男:一言(日本女子大学名誉教授)[1]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成』上巻、770頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』75頁。
  3. ^ a b c d e 『人事興信録』第14版 上、ス33頁。
  4. ^ 『官報』第866号、大正4年6月22日。
  5. ^ 『官報』第829号、昭和4年10月3日。
  6. ^ 『東京帝国大学一覧 [大正8年度]附録』東京帝国大学、1920年、194頁。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、42頁。
  8. ^ 『官報』第1664号、昭和7年7月18日。

参考文献

[編集]
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。


日本の爵位
先代
杉溪言長
男爵
杉溪家第2代
1929年 - 1947年
次代
華族制度廃止