杉本忠恵
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杉本 忠恵(すぎもと ちゅうけい、1618年(元和4年) - 1689年11月17日(元禄2年10月6日))は、江戸時代前期の幕府に仕えた医官。イエズス会士であったが、日本において拷問によって棄教し、沢野忠庵(さわの ちゅうあん、忠安とも)と名乗ったクリストヴァン・フェレイラの門人でその娘婿。南蛮外科として幕府に仕えた初めての人物である。
生涯
[編集]杉本忠庵(元喬)の子として生まれ、伊豆国出身とも長崎出身ともいわれている。名は元政。沢野忠庵に師事し、南蛮外科を習得する。寛文6年(1666年)12月1日、将軍徳川家綱に拝謁する。そして、寛文10年(1670年)12月25日幕医となり、200俵を給される。のちに侍医となり、法眼に叙任された。延宝6年(1678年)京で女院の病の治療を行う。天和3年(1683年)12月21日家督を杉本元真(二代目杉本忠恵)に譲り隠居した。元禄2年(1689年)10月6日、72歳で没した。
杉本家は代々幕医として幕府に仕え、代々「杉本忠庵」を名乗った。良英(3代目)、良貞(4代目)、良献(5代目)、良敬(6代目)と続いた。同じく法印に叙任され宗春院と号した良敬(第6代仲温)はその中でも著名である。
参考文献
[編集]- 日本人名大辞典(講談社)
- 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞出版)