杉原隆盛
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 永禄10年(1567年)から永禄13年(1570年)の間 |
改名 | 杉原高盛→隆盛→元清 |
別名 |
椙原隆盛、木梨隆盛 通称:左衛門尉 |
官位 | 越前守・蔵人大夫(受領名) |
主君 | 大内義隆→毛利元就 |
氏族 | 桓武平氏桑名氏流杉原氏 |
父母 | 父:杉原光恒 |
子 | 元経、経珍 |
杉原 隆盛(すぎはら たかもり)は、戦国時代の武将。小早川氏の家臣。鷲尾山城主。備後杉原氏は備後国御調郡木梨庄の国人。同族に杉原盛重などがいる。
生涯
[編集]天文12年(1543年)6月、備後国へ攻め寄せた尼子氏の攻撃によって鷲尾山城は落城。父・光恒は自害し、隆盛も捕縛され尼子氏の本拠である出雲国へ連行されたが、出雲国からの逃亡に成功し、大内義隆の支援で家名を再興する。家名を再興してから程無くして毛利元就に従った隆盛は小早川隆景に属し、天文21年(1552年)頃には隆景と義兄弟の契りを交わした。
永禄10年(1567年)には毛利輝元から長門国宇賀荘において100貫を与えられたが、永禄10年(1567年)から永禄13年(1570年)の間に、西隣の石原忠直に鷲尾山城を急襲され、流れ矢に当たり戦死した。
参考文献
[編集]- 新人物往来社編『小早川隆景のすべて』(新人物往来社、1997年) ISBN 4-404-02517-3