朴啓周
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朴 啓周(パク・ケジュ、朝鮮語: 박계주/朴啓周、1913年 - 1966年4月7日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の詩人、小説家。本貫は密陽朴氏[1]。
間島の龍井出身。『殉愛譜』、『愛路歴程』、『愛情無限』などの作品がある。1940年に『三千里』、1943年に『新時代』の編集部長、光復直後に『民声』の主幹、1949年に漢城日報社の取締役兼編集顧問、その後は自由文学家協会の初代事務局長および中央委員も務めた。朝鮮戦争中には北朝鮮により拉致されたが、朴栄濬・金容浩などと途中で脱出した。その後は韓国軍に従軍し、白馬高地の戦い・智異山の戦いなどにも参加した[1]。戦後も多くの小説を発表したが、1962年に筆禍事件により執筆が中断となり、1963年に練炭によるガス中毒で記憶喪失に陥り、闘病中の1966年に54歳で死去した[1][2]。
脚注
[編集]- ^ a b c “박계주(朴啓周)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年8月17日閲覧。
- ^ “『殉愛譜(순애보)』작가 朴啓周(박계주)씨別世(별세)”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1966年4月8日). 2023年8月17日閲覧。