コンテンツにスキップ

本島百合子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
本島 百合子
もとじま ゆりこ
生年月日 1907年8月3日
出生地 福岡県遠賀郡八幡町(現・北九州市
没年月日 (1972-05-21) 1972年5月21日(64歳没)
出身校 日本大学高等師範部地歴科
前職 萬朝報記者、婦人毎日新聞記者
所属政党日本社会党→)
民社党

選挙区 旧東京3区
当選回数 4回
在任期間 1958年5月22日 - 1969年12月2日

当選回数 3回
在任期間 1947年5月 - 1958年
テンプレートを表示

本島 百合子(もとじま[1][2] / もとしま[3] ゆりこ、1907年(明治40年)8月3日[1][3] - 1972年(昭和47年)5月21日[1][2])は、日本の婦人運動家、政治家衆議院議員(4期)、東京都議会議員(3期)を歴任。

経歴

[編集]
1963年12月11日、衆参婦人議員懇談会が参議院の議長公邸で開かれた[4]。前列左から、粟山ひで戸叶里子、本島百合子、山口シヅエ。後列左から、林塩千葉千代世中上川アキ市川房枝藤原道子加藤シヅエ

福岡県遠賀郡八幡町[3]八幡市を経て現北九州市)で、本島礼三郎の四女として生まれる[5]

1929年、日本大学高等師範部地歴科を卒業した[2][3]。在学中から無産運動に加わった[3]。卒業後、萬朝報記者、婦人毎日新聞記者を務め、婦人解放運動を行った[1][3]

1945年、日本社会党の結党に加わり[1][3]、1946年、同党婦人部に勤務し同副部長を務めた[3][5]。1947年5月、東京都議会議員に当選[5]。以後、都議を3期務めた[6]

1958年5月の第28回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧東京3区(定数3)から出馬して初当選[1][2][3]

1960年1月24日、社会党を離党した西尾末広らによって民主社会党(民社党)の結党大会が開かれ、本島を含む衆議院議員38人、参議院議員16人が結党に参加した[7]

同年11月の第29回衆議院議員総選挙に同党公認で立候補し、再選。1963年の総選挙で3選。旧東京3区の定数が3から4に増えた1967年の総選挙で自民党は2議席獲得し、本島は2番目の得票数で4選。この間、民主社会党生活対策本部長、民社党婦人部長などを務めた[1][2][3][6]

1969年12月の第32回衆議院議員総選挙の旧東京3区に自民党は現職の賀屋興宣広川シズエに加え、小坂一族の小坂徳三郎の計3人を擁立。小坂と賀屋が当選し、本島は次点で落選した。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 『日本人名大辞典』219頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』646頁。
  3. ^ a b c d e f g h i j 『日本女性人名辞典〔普及版〕』1044頁。
  4. ^ 『月刊婦人展望』1964年1月号、財団法人婦選会館出版部、2頁。
  5. ^ a b c 『人事興信録』第15版 下、モ3頁。
  6. ^ a b 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』620頁。
  7. ^ 中部日本新聞』1960年1月24日付夕刊、1面、「民主社会党が発足」。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所編『人事興信録』第15版 下、1948年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『日本女性人名辞典〔普及版〕』日本図書センター、1998年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。