末田ます
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末田 ます(すえだ ます、1886年 - 1953年)は、日本の女性児童教育者。山口県生まれ。
いち早く児童遊園、遊び場の必要を痛感し、その理論と実際を研究するため渡米し、帰国後は児童指導の運動にたずさわった。
経歴
[編集]1886年、岡野家の3女に生まれる。1917年にアメリカに留学[1]。カルフォルニア大学、コロンビア大学で学び、在米中に同郷の末田福太郎と結婿し2女を生む。
1923年の帰国と同時にYWCAに入り[1]、翌1924年、東京市公園課長であった井下清の要請で、児童公園の指導員となる[1]。1950年(昭和25年)に東京都を退職するまで、児童公園(現・街区公園)における児童の遊戯指導に邁進した。
1925年、井下清や上原敬二、当時の日本保母学校校長石原キク等と共に、1925年日本児童遊園協会を設立する[1]。1932年頃には公園父母の会を創設した[1]。これらの動きを受けて、1939年、東京市に公園児童掛が置かれ、公園指導員が市の職員として採用されるようになった[1]。
東京市が1930年代の初頭から、大公園に特設の児童遊園を設け児童指導員多数を配置したが、これは末田ますの尽力によるものである。児童指導理論家金子九郎に支援するほか、『児童遊園』の著書を刊行など、当該分野の後身者の啓蒙や育成にも尽くした。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 野尻裕子「昭和初期の児童公園に関する一考察 : 児童公園指導員の役割と健康観」『川村学園女子大学研究紀要』川村女子大学、2004年3月
- 進士五十八、鈴木誠、水口聡子「日比谷公園の総合的研究(1) 歴史的積層空間としての日比谷公園の性格と生活史的考察」『日本建築学会関東支部研究報告集』54、1983年7月