朝峯神社
朝峯神社 | |
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拝殿 | |
所在地 | 高知県高知市介良乙1927 |
位置 | 北緯33度33分30.78秒 東経133度36分38.59秒 / 北緯33.5585500度 東経133.6107194度座標: 北緯33度33分30.78秒 東経133度36分38.59秒 / 北緯33.5585500度 東経133.6107194度 |
主祭神 | 木之花咲耶姫命 |
神体 |
神鏡(本殿)[1] 介良山(神体山) |
社格等 |
式内社(小) 旧郷社 |
創建 | 不詳 |
例祭 | 7月10日・10月第3日曜 |
地図 |
朝峯神社(あさみねじんじゃ)は、高知県高知市介良にある神社。式内社で、旧社格は郷社。
祭神
[編集]主祭神
- 木之花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)
相殿神
記紀神話において木之花咲耶姫命には出産伝承・造酒伝承があることから、安産・子授けの信仰、酒造の信仰がある[1]。
歴史
[編集]創建
[編集]創建は不詳。鉢伏山の北の峰の介良山(介良富士)の西麓に鎮座し、この介良富士を神体山として祀るという[2]。時期不明ながら、浅間神社(富士山を祭祀)からの勧請が創祀と伝える[2]。
周辺には宮の谷古墳・高間原古墳群・高天原古墳群など多くの古墳時代後期の古墳が所在し、朝峯神社の存在はこれらを営んだ豪族と対比される[2]。
概史
[編集]国史では、貞観8年(866年)に「朝岑神」の神階が従五位下から従五位上 に昇叙されたと見える[2]。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では土佐国長岡郡に「朝峯神社」と記載され、式内社に列している[2]。『和名抄』に見える地名のうちでは、現鎮座地は長岡郡気良郷に比定される[4]。
中世には当地の豪族の横山氏から崇敬を受け、横山氏による造営があったことが棟札等に見える[2]。天正16年(1588年)の『介良庄地検帳』では「朝峯大明神」として記載があり、規模として「一社、舞殿横殿、五間弐間、鳥居馬場」とあるほか、多くの神領が記されている[5]。
江戸時代には、元文4年(1739年)の社殿修復に際して近隣の西養寺との間で訴訟を起こしたと『南路志』に記されている[5]。また明和2年(1765年)には、土佐藩主山内家の祈願所の8社目に加えられて崇敬を受けた[1]。
明治5年(1872年)、近代社格制度において郷社に列した[6]。
神階
[編集]境内
[編集]本殿は拝殿から約10メートルほどの高所にあり、「甕の巌屋」と称される女陰岩の前に鎮座する[2]。
なお朝峯神社近くには、源希義(源頼朝の実弟)の霊を祀った西養寺がかつて存在し(現在は廃寺)、その跡地には希義の墓塔と伝える無縫塔が残されている[7]。
祭事
[編集]文化財
[編集]高知市指定無形民俗文化財
[編集]- 朝峯神社祭礼 - 平成11年7月15日指定[9]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 境内説明板
- 明治神社誌料編纂所編 編「朝峯神社」『府県郷社明治神社誌料』明治神社誌料編纂所、1912年。
- 『明治神社誌料 府県郷社 下』(国立国会図書館デジタルコレクション)514-515コマ参照。
- 『日本歴史地名大系 40 高知県の地名』平凡社、1983年。ISBN 978-4582490404。
- 「朝峯神社」、「気良郷」。
- 高木啓夫 著「朝峯神社」、谷川健一編 編『日本の神々 -神社と聖地- 2 山陽・四国』白水社、1984年。ISBN 4560022127。
- 八波浩 著「朝峯神社」、式内社研究会編 編『式内社調査報告 第9巻』皇學館大学出版部、1987年。