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島津朝子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
朝子女王から転送)
島津 朝子
(朝子女王)
1930年代撮影
続柄 久邇宮朝融王第2王女子

全名 島津 朝子(しまづ あさこ)
身位 女王 →(皇籍離脱
敬称 殿下 →(皇籍離脱)
お印 [1]
出生 (1927-10-23) 1927年10月23日
日本の旗 日本東京府東京市本郷区
(現:東京都文京区
死去 (1964-08-21) 1964年8月21日(36歳没)
配偶者 島津斉視
父親 久邇宮朝融王
母親 朝融王妃知子女王
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島津 朝子(しまづ あさこ、1927年昭和2年〉10月23日 - 1964年〈昭和39年〉8月21日)は、日本旧皇族久邇宮朝融王同妃知子女王の第2王女子。 旧名は、朝子女王(あさこじょおう)。皇籍離脱前の身位女王で、皇室典範における敬称殿下。島津斉視男爵夫人。

今上天皇の従叔母にあたる。

略歴

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1927年(昭和2年)10月23日久邇宮朝融王同妃知子女王の第2王女子として誕生。御七夜の10月29日に「朝子」と命名された。1947年(昭和22年)10月14日皇室典範第11条1項により、皇籍離脱。皇籍離脱後は、「久邇 朝子(くに あさこ)」と名乗った。皇籍離脱直後の10月29日島津忠弘家の元男爵で父宮の従弟の島津斉視と結婚し、「島津 朝子(しまづ あさこ)」となる。1964年(昭和39年)8月21日、36歳で逝去。なお斉視は後に武井礼子と再婚している。

栄典

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血縁

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脚注

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  1. ^ 【ボンボニエールの物語vol.48】続・皇族 お印の物語”. TSUGUMI JAPAN&CULTURE 日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト (2021年7月14日). 2022年12月13日閲覧。
  2. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。