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久邇正子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
久邇 正子
(正子女王)
久邇宮家、龍田家、梨本
1930年代撮影
続柄 久邇宮朝融王第1王女子

全名 久邇 正子(くに まさこ)
身位 女王 →(皇籍離脱
敬称 殿下 →(皇籍離脱)
お印 [1]
出生 (1926-12-08) 1926年12月8日(97歳)
配偶者 梨本徳彦(1945年 - 1980年、離婚)
子女 龍田徳久
西坂豊子
菊地鑑代子
父親 久邇宮朝融王
母親 朝融王妃知子女王
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久邇 正子(くに まさこ、1926年大正15年〉12月8日 - )は日本の元皇族久邇宮朝融王同妃知子女王の第1王女子。多嘉王の第3王男子で伯爵梨本徳彦の元妻。旧名は、正子女王(まさこじょおう)。皇籍離脱前の身位女王で、皇室典範における敬称殿下。旧姓は、龍田、梨本。香淳皇后の姪、上皇の従姉、今上天皇の従伯母にあたる。

略歴

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1926年大正15年)12月8日午後1時3分、久邇宮朝融王同妃知子女王の第1王女子として誕生[2]。御七夜の12月14日に「正子」と命名された[3]1944年(昭和19年)12月13日、父宮朝融王の従弟である龍田徳彦伯爵[注釈 1]との結婚が勅許された[4]。翌1945年(昭和20年)4月22日降嫁した[5]。その後、1946年(昭和21年)に長男・徳久、1950年(昭和24年)に長女・豊子、1952年(昭和27年)に次女・鑑代子の1男2女を儲ける。1966年(昭和41年)に夫婦揃って梨本宮守正王妃であった梨本伊都子[注釈 2]の依頼で同家の養子となり祭祀を継承し[6]、梨本姓を名乗る[注釈 3]。しかし、その後、夫の徳彦とは、1980年(昭和55年)に調停離婚し、以後は「久邇 正子(くに まさこ)」となる。

栄典

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血縁

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脚注

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注釈

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  1. ^ 久邇宮家の多嘉王の第3男子、徳彦王。1943年(昭和18年)に臣籍降下し龍田伯爵。
  2. ^ 多嘉王の兄で、正子の大伯父かつ徳彦の叔父にあたる。
  3. ^ 夫婦養子のため、子女は龍田姓のままである。

出典

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  1. ^ 【ボンボニエールの物語vol.48】続・皇族 お印の物語”. TSUGUMI JAPAN&CULTURE 日本美を守り伝える「紡ぐプロジェクト」公式サイト (2021年7月14日). 2022年12月13日閲覧。
  2. ^ 大正15年宮内省告示第31号(『官報』第4289号、大正15年12月9日)(NDLJP:2956439
  3. ^ 大正15年宮内省告示第33号(『官報』第4294号、大正15年12月15日)(NDLJP:2956444
  4. ^ 『官報』第5376号「宮廷録事」、昭和19年12月14日(NDLJP:2961879/3
  5. ^ 昭和20年宮内省告示第5号(『官報』第5480号、昭和19年4月24日)(NDLJP:2961980
  6. ^ 週刊新潮 2018 p.20-24
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

関連項目

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