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朝光亀太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朝光 亀太郎(あさひかり かめたろう、1900年3月14日 - 1937年12月1日[1])は、現在の大阪府東大阪市出身で朝日山部屋出羽海部屋、再度朝日山部屋に所属した力士。本名は塚本 亀太郎。身長167cm、体重98kg。最高位は西前頭6枚目。

来歴

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大阪相撲の朝日山部屋に入門、1919年5月に初土俵を踏む。朝潮を名乗り1923年5月に入幕を果たしたが、その場所前に起きた紛擾事件(龍神事件)で場所は中止、彼も一時廃業して東京に移った。東京では出羽海部屋に身を寄せ、1924年1月十両格付出で東京の土俵に上ったが、さすがに東京では朝潮の名は名乗れず朝千鳥と名乗った。すると、すぐに大阪への復帰が認められ、1924年1月の大阪相撲に、朝潮の名で幕内格で復帰した。1927年1月東西合併にともない、大阪相撲より加入の形で東京でも入幕、ここからは朝光と名乗った。その後幕内を維持していたが、十両に落ちて1930年10月に廃業したのち、郷里に帰ったが1937年に渡し船が転覆して死亡した。

成績

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  • 幕内14場所59勝76敗19休(東京のみ)
  • 通算17場所59勝76敗50休1預(東京のみ)

改名

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小朝日→朝汐(1921年1月)→朝潮(1922年5月)→朝千鳥(東京、1924年1月)→朝潮(大坂、1924年1月)→朝光(東西合併、1927年1月)[2]

出典

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  1. ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 63頁
  2. ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709

関連項目

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