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望月玉川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
望月玉川
生誕 1794年
京都
死没 1852年4月24日(満58歳没)
国籍 日本の旗 日本
運動・動向 望月派、岸派四条派
影響を受けた
芸術家
村上東洲、岸駒谷文晁呉春
影響を与えた
芸術家
望月玉泉、佐藤魚大

望月玉川(もちづき ぎょくせん、寛政6年(1794年) - 嘉永5年3月6日1852年4月24日))は、日本江戸時代後期の望月派の絵師である。名は輝、または重輝、は子瑛、玉川、資清館と号した[1][2]

経歴

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寛政6年(1794年)、望月派2代絵師の望月玉仙の子として京都に生まれる[1]。翌寛政7年(1795年)に早くも父を亡くして、はじめは村上東洲に後に岸駒に師事して画法を学んだ[1][3]文化6年(1809年)の金沢城二の丸御殿障壁画作成には玉川も岸駒の弟子として参加している[4]。その後は長崎で過ごした後に江戸に出て、四条派の絵師谷文晁の教えを受けた[5]。玉川は同じく四条派の絵師呉春の画風を慕って大きく家法を改めて望月派3代目として一家を成し、家風である望月派に加え岸派、四条派をも取入れた情緒的な画風の山水花鳥画を得意として名を遺した[1][5][6][7]。門弟に子の望月玉泉、玉川の画法の影響を受けた画家として佐藤魚大がいる[8]。嘉永5年3月6日に玉川は死去した[1]。墓所は京都市東山区大雲院[9]

画像

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作品

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作品名 技法 形状・員数 寸法(縦x横cm) 所有者 年代 落款・印章 備考
関羽 絹本淡彩 1幅 48.2x73.1 草堂寺 南山古梁賛。和歌山県指定文化財
山水図 絹本墨画淡彩 1幅 36.7x80.8 個人 1813年(文化10年)初春 款記「癸酉孟春 望玉川」/「望輝」白文方印・「子瑛」朱文方印
eagle on rock by waves 紙本墨画 六曲一隻 136.37×277.97 ミネアポリス美術館 款記「望玉川寫」
寒山拾得図 絹本著色 1幅 132.4x56.2 ボストン美術館 款記「望玉川」/「望輝之印」白文方印・「玉川」白文方印・「計興」朱文方印 上記
雲龍図 紙本墨画 1幅 127.7x55.9 ボストン美術館 款記「「玉川望輝寫」/「望月輝字子瑛写玉川」白文方印・「年女画員」白文方印

脚注

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  1. ^ a b c d e 望月玉川 もちづき-ぎょくせん”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 講談社 (2015年9月). 2016年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月16日閲覧。
  2. ^ 美術人名検索 34127 望月玉川”. 思文閣. 2016年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月16日閲覧。
  3. ^ 望月玉仙 もちづき-ぎょくせん”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 講談社 (2015年9月). 2016年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月16日閲覧。
  4. ^ 望月玉川 年譜的解説”. 筑波大学付属図書館. 2016年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月16日閲覧。
  5. ^ a b 望月玉川”. 美術人名辞典. 思文閣. 2016年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月16日閲覧。
  6. ^ 帝国博物館 編『稿本日本帝国美術略史』農商務省、1901年、255頁。全国書誌番号:40069660 
  7. ^ 滝精一 校訂 編『画道集』大日本文庫刊行会、1938年、336頁。全国書誌番号:46063057 
  8. ^ 中谷伸生「近世近代の日本絵画における美術交渉」『関西大学東西学術研究所紀要』第45輯、関西大学東西学術研究所、2012年4月、4-5頁、ISSN 02878151 
  9. ^ 矢島俯仰. “大雲院(祇園閣) (東山区)”. 2016年9月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月16日閲覧。

参考文献

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  • 村上敬 「望月玉川《山水図》」『関西大学博物館紀要』第22号、2016年3月31日、pp.二八-三三

外部リンク

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