有馬道純
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有馬 道純(ありま みちずみ、天保8年9月9日(1837年10月8日) - 明治36年(1903年)5月24日)は、日本の華族。子爵。江戸時代末期の大名、老中。越前丸岡藩の第8代(最後)の藩主。晴信系有馬家11代。官位は従四位下・侍従、左兵衛佐、遠江守。
生涯
[編集]播磨山崎藩主本多忠鄰の三男。曽祖父の本多忠可が丸岡藩第3代藩主有馬孝純の次男だったため、第7代藩主有馬温純の養子となる。正室は戸田忠温の娘。継室も忠温の娘。子は有馬純文(長男)、有馬純祥(次男)、娘(毛利元功継室)、娘(戸沢正定正室のち久世広業継室)、硯子(相馬順胤正室)。
寺社奉行、奏者番、若年寄、老中などを歴任し、幕閣として活躍した。1884年7月8日に子爵を叙爵した[1]。
経歴
[編集]- 1837年(天保8年) 生誕
- 1855年(安政2年)8月16日、家督相続
- 1855年(安政2年)12月16日、従五位下に叙位、また左兵衛佐に任官。
- 1860年(万延元年)6月25日、幕府奏者番に就く。
- 1862年(文久2年)6月30日、 寺社奉行に就く。( - 1863年1月22日)奏者番を兼帯。
- 1862年(文久2年)10月18日 、遠江守に遷任。
- 1863年(文久3年)1月22日、若年寄に就く。( - 1863年7月5日)
- 1863年(文久3年)2月10日、外国御用取扱を担当。
- 1863年(文久3年)7月5日、老中に就く。外国御用取扱を担当。
- 1863年(文久3年)10月28日、従四位下に昇叙。
- 1864年(元治元年)4月12日、老中を免ず。
- 1868年(慶応4年) 朝廷に恭順
- 1869年(明治2年)6月19日、 版籍奉還により、丸岡<藩知事となる。
- 1871年(明治4年)7月1日、 廃藩置県により藩知事免官。
- 1903年(明治36年) 死去。享年66
※参考文献
- 大日本近世史料「柳営補任」東京大学出版会
- 幕末明治重職補任 附諸藩一覧 東京大学出版会
- <内閣文庫藏「年表諸侯」東京堂出版
墓所は谷中霊園。
家族
[編集]父母
妻
子女
栄典
[編集]脚注
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 (丸岡)有馬家初代 1884年 - 1903年 |
次代 有馬純文 |