有王
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概要
[編集]法勝寺執行俊寛の侍童だったが、安元3年(1177年)俊寛は鹿ケ谷の陰謀に連座して鬼界ヶ島(薩摩国)へ配流された。
『平家物語』によると、師を慕う有王は鬼界ヶ島をおとずれ、変わり果てた姿の俊寛と再会。有王は俊寛の娘の手紙を渡し、それを読んだ俊寛は死を決意して食を断ち自害する。有王は鬼界ヶ島より俊寛の灰骨を持ち帰り、高野山奥院に納め、蓮華谷で出家して菩提を弔ったとされる。
有王の墓は、和歌山県かつらぎ町と三重県桑名市(有王塚)にある。
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有王の墓
脚注
[編集]- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 61頁。