有地隆信
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時代 | 戦国時代 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 高信 |
官位 | 刑部少輔、備後守、美作守 |
主君 | 毛利元就 |
氏族 | 宮氏→有地氏 |
父母 | 父:宮清元 |
兄弟 | 隆信、景信 |
子 | 正信、元昌、少輔五郎? |
有地 隆信(あるじ たかのぶ)は、戦国時代の武士。備後国芦田郡有地[1]の有地城主。毛利氏の家臣。
生涯
[編集]備後に大きな勢力を有していた宮氏の出身で、後に有地の姓を名乗ったとされる。大内義隆から偏諱を受けた。
『萩藩閥閲録』によると、隆信の嫡男・正信の代に有地氏に伝わる文書が焼失したとされ、有地隆信の経歴はよくわかっていない。弘治3年(1557年)2月2日の毛利氏親類衆・年寄衆・家人連署起請文案[2]に「有地刑部少輔隆信」と署名していることが文献史料における有地氏の初見である。現在の芦田町上有地の大谷の標高262mの山頂部に大谷城を築いた。現在でも山頂に曲輪跡や土塁、祠、拝殿、本丸跡が残る。
嫡男・正信が隆信の後を継ぎ、四男・元昌は小早川隆景の家臣となった。また、永禄4年(1561年)の『毛利元就・隆元父子雄高山行向留日記』に登場する有地少輔五郎も隆信の子と考えられている。