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曹永吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曹永吉
조영길
合同参謀議長在任時
生年月日 (1940-05-09) 1940年5月9日(84歳)
出生地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮全羅南道霊光郡
出身校 東国大学校
所属政党無所属

在任期間 2003年2月27日 - 2004年7月29日
大統領 盧武鉉
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曹永吉
조영길
アメリカ海軍の戦艦ミズーリの模型を見学中
生誕 1940年5月9日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮全羅南道霊光郡
所属組織 大韓民国陸軍
軍歴 1961 - 2001
最終階級 陸軍大将
除隊後 第38代国防部長官
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曹永吉
各種表記
ハングル 조영길
漢字 曺永吉
発音: チョ・ヨンギル
英語表記: Cho Yung-kil
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曹 永吉(チョ・ヨンギル、1940年5月9日 - )は、大韓民国政治家軍人。第29代韓国軍合同参謀部議長、第38代国防部長官などを歴任。最終階級は陸軍大将。

経歴

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1940年に日本統治下の全羅南道霊光郡で生まれた[1]1961年に陸軍甲種将校(172期)として少尉任官。その後はベトナム戦争に従軍した。第31郷土防衛師団師団長などを経て[1]1993年に合同参謀本部戦略企画部長に就任した[1]。その後、第2軍副司令官を経て、1998年には第2軍司令官に任命された[2]1999年には制服組トップの合同参謀議長に任命された[3]。この人事は金大中大統領の支持基盤である全羅道の将官を優遇したものとされる[4]2001年6月2日に北朝鮮の商船が領海侵犯したことを報告されたにもかかわらず、そのままゴルフ場に行き、ゴルフをプレイしたことが発覚し大きな批判を呼んだ[5]。金大中大統領はこの問題に関して、更迭せずに厳重注意に留めた[6]。同年10月15日に合同参謀部議長を退任し、40年間の軍歴に終止符を打った[7]

2003年盧武鉉が大統領に就任すると国防部長官に任命された[8]。甲種将校出身では2人目の国防部長官となった[9]。同年10月1日に開催された国軍の日記念式典で雨が降る中、3軍を査閲中の盧武鉉大統領に曹が傘を差したことから大きな批判を呼んだ[10]2004年2月13日にはイラク戦争での復興部隊を中心とした3600人をイラクに追加派兵することが正式決定した[11]。同年7月14日に北朝鮮の警備艇が北方限界線を侵犯した際の交信記録が流出[12]した責任を取って、盧武鉉大統領から更迭された[13]

辞職後の2006年には盧武鉉政権が推進している戦時作戦統制権返還に反対する声明に署名した[14]

脚注

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  1. ^ a b c 얼굴曺永吉 합참의장 東亜日報 2007年11月28日
  2. ^ 軍수뇌부 인사합참의장 김진호-육참총장 김동신 東亜日報 1998年3月26日
  3. ^ 軍수뇌부 인사합참의장 조영길-육참총장 길형보 東亜日報 1999年10月26日
  4. ^ 장성 人事 의미DJ정권 軍장악 굳히기 東亜日報 2000年4月25日
  5. ^ 北 상선 '영해침범' 한 날… 군수뇌 골프장 東亜日報 2001年6月21日
  6. ^ 김대통령 국방장관 합참의장 해참총장 경고조치 東亜日報 2001年6月26日
  7. ^ 이사람軍門 떠난 '최고참' 조영길 합참의장 東亜日報 2001年10月15日
  8. ^ 盧정부 2·27 組閣관행-서열 파괴…權力 세대교체 東亜日報 2003年2月27日
  9. ^ 盧정부 2·27 組閣새 각료 프로필 東亜日報 2003年2月27日
  10. ^ “국방장관이 대통령 우산까지 받쳐주나” 東亜日報 2003年10月2日
  11. ^ 파병안 국회 통과재건지원 1600명 특전사 위주로 구성 東亜日報 2004年2月13日
  12. ^ 합참 정보본부장 ‘NLL교신’ 유출…박승춘 중장 “군사기밀 사항 아니다” 東亜日報 2004年7月20日
  13. ^ 외교안보라인 정비…曺국방 경질키로 東亜日報 2004年7月26日
  14. ^ [社説]盧政府の前職当局者らも反対する「戦時作戦統制権の移管」 東亜日報 2006年8月12日
軍職
先代
金辰浩
韓国軍合同参謀議長
1999年10月26日 - 2001年10月8日
次代
李南信
公職
先代
李俊
大韓民国の旗国防部長官
2003年2月27日 - 2004年7月29日
次代
尹光雄