暁 (暁型駆逐艦)
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艦歴 | |
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計画 | 第二期拡張計画[1](1900年度[2]) |
起工 | 1900年12月10日[2] |
進水 | 1901年2月13日[2] |
竣工 | 1901年12月14日[2] |
最期 | 1904年5月17日触雷沈没[2] |
除籍 | 1905年10月19日[2] |
要目 | |
排水量 | 常備:363トン |
長さ | 67.2m |
幅 | 6.3m |
吃水 | 1.7m |
主缶 | ヤーロー式石炭専焼缶4基 |
主機 | 2軸推進、6,000shp |
速力 | 31ノット |
航続距離 | |
乗員 | 62人[3] |
兵装 | 8.0cm単装砲1基 57mm単装砲5基 45cm水上発射管2門 |
暁(あかつき)は、大日本帝国海軍の駆逐艦で、暁型駆逐艦のネームシップである。同名艦に、後に改名した山彦型駆逐艦の「山彦」、吹雪型駆逐艦(特III型、暁型)の「暁」があるため、こちらは「暁 (初代)」や「暁I」などと表記される。
艦歴
[編集]当初の艦名は第十三号駆逐艦。1901年11月13日に進水し「暁」と命名[4]。同年12月14日、イギリスのヤーロー社で竣工し、軍艦に編入され駆逐艦に類別[2]。1902年1月25日、日本へ回航[5]。同年5月7日、横須賀に到着[2]。
1904年、日露戦争が勃発した際には第1艦隊第3駆逐隊に所属していた[6]。同年5月17日、老鉄山南東沖で触雷沈没。ロシア側に沈没が目撃されていないと推定されたため、その名は捕獲艦「レシーテリヌィ」(後に「山彦」へ改名)の使用欺瞞のために使われた[6]。1905年6月1日、喪失公表[7]。同年10月19日、除籍。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 回航委員長
- 中山鋋次郎 少佐:1901年6月4日 - 9月2日
- 艦長
- 中山鋋次郎 少佐:1901年9月2日 - 1902年5月24日
- 関重孝 少佐:1902年5月24日 - 1903年11月5日
- 末次直次郎 大尉:1903年11月5日 - 1904年5月17日戦死
- (兼)狭間光太 少佐:1904年5月20日[8] -
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。