智円
表示
智円 | |
---|---|
開宝9年 - 乾興元年2月17日 (976年 - 1022年3月21日) | |
諡号 | 法慧大師 |
生地 | 杭州銭塘県 |
没地 | 西湖孤山 |
宗派 | 天台宗山外派 |
師 | 源清 |
著作 | 『閑居編』 |
智円(ちえん)は、中国北宋代の天台宗山外派の僧。孤山智円(こざん ちえん)と呼ばれる。
生涯
[編集]俗姓は徐氏。字は無外、中庸子・潜夫と号した。杭州銭塘県の出身。
8歳の時に出家し、21歳で源清に入門して天台教学を修学した。山家派に属する知礼ら一門と、その宗学や法系上の相違により対立し、盛んに宗学上の論争を繰り広げた。一方、儒教や道教の教理にも造詣が深く、儒・仏・道三教の融和統合を説く「三教合一論」を展開した。
乾興元年2月17日(1022年3月21日)寂。最晩年の6年間、西湖の孤山に住し、著作に専心した。その著述は20部余で120巻余りに及んだ。
崇寧3年(1104年)、徽宗により法慧大師の大師号を賜った。
著書
[編集]- 『閑居編』
- 『金剛錍顕性録』
- 『涅槃玄義発源機要』
伝記資料
[編集]- 『仏祖統紀』巻10、巻25
参考文献
[編集]- 安藤智信「孤山智圓と明教契嵩:宋代二高僧に見る儒・仏二教の位置ずけ」(『大谷学報』55-3、1975年)
- 末廣照純「孤山智圓の儒佛道三教觀」(『天台学報』24、1981年)
- 金井崚純「孤山智圓の三教觀」(『天台学報』30、1987年)