時習館 (三河吉田藩)
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時習館(じしゅうかん)は、三河吉田藩(現在の愛知県豊橋市)の藩校。
概要
[編集]同名の藩校は、藩校時習館(熊本藩)(宝暦5年(1755年)設立)をはじめ、大田原藩・笠間藩・桜井藩にある。また、この藩校の名を冠した県立の高等学校(愛知県立時習館高等学校)も存在する。
沿革
[編集]- 1752年(宝暦2年) - 藩校時習館、藩主松平信復により、城内の八丁小路(現在の豊橋市八町通)に設立。
- 1806年(文化3年) - 「時習館規条」制定。
- 1872年(明治5年) - 藩校時習館廃止。
- 1893年(明治26年) - 私立補習学校時習館(愛知県立時習館高等学校の前身)設立。藩校時習館の名を借りて称した。
- 1900年(明治33年) - 愛知第四中学校(ナンバースクール)へ改名。
- 1948年(昭和23年)10月 - 豊橋時習館高等学校の校名に改称し、「時習館」の名称が復活する。
- 1956年(昭和31年) - 愛知県立時習館高等学校に改称。
藩校名の由来
[編集]名は、孔子の『論語』の中の「学びて時にこれを習う(学而時習之)」からである。
三河吉田藩の上級家臣である北原忠兵衛忠光が藩校名を揮毫し、扁額とした。
教授
[編集]三浦竹渓(荻生徂徠の弟子)、西岡天津、中山美石、太田錦城、太田晴軒(錦城の三男)、山本謙斎、彦坂範善 など。
松平信明が藩主の時、太田錦城を教授として招いたが、実際に錦城が吉田に赴任したのは信順の代になってからであった。