昭和コンクリート硬式野球部
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チーム名(通称) | 昭和コンクリート、昭コン |
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加盟団体 | 日本野球連盟 |
加盟区分 | 企業チーム |
創部 | 1990年 |
廃部 | 2003年 |
チーム名の遍歴 |
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本拠地自治体 |
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都市対抗野球大会 | |
出場回数 | 6回 |
最近の出場 | 2003年 |
最高成績 | ベスト8 |
社会人野球日本選手権大会 | |
出場回数 | 1回 |
最近の出場 | 1996年 |
最高成績 | 2回戦 |
全日本クラブ野球選手権大会 | |
出場回数 | ※出場資格なし |
昭和コンクリート硬式野球部(しょうわコンクリートこうしきやきゅうぶ)は、岐阜県岐阜市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。2003年に解散した。
運営母体は、昭和コンクリート工業。
概要
[編集]かつて県立岐阜商業高で野球部に所属していた昭和コンクリート工業の村瀬恒治社長により、1990年に『昭和コンクリート硬式野球部』として発足[1]。
1995年にはJABA伊勢大会とJABA高山市長旗争奪飛騨高山大会で優勝している。
1996年に都市対抗野球に初出場を果たすと、その後4年連続で本大会に出場。また、同年は日本選手権にも初めて出場した。
創部当初からキューバ人選手を加入させており、さらには1999年に元プロ野球選手の林純次が入部するなど[2]、積極的な戦力強化を図った。さらに岐阜市内に専用球場を設けるなど、急速な投資を行った。
2001年にはコーチ兼内野手として前原博之を獲得するなど強化を進め、同年の都市対抗野球ではベスト8に進出し、同じ岐阜県に本拠地を置く西濃運輸と並ぶ強豪になっていった[3]。
しかし、経営環境の悪化などから2002年に休部を決定[3]。同年の都市対抗野球で本大会出場を逃したことから休部を1年間延期し[1]、2003年の都市対抗野球1回戦敗退をもって活動を終了した。
沿革
[編集]- 1990年 - 『昭和コンクリート硬式野球部』として創部。
- 1996年 - 都市対抗野球に初出場(2回戦敗退)。日本選手権に初出場(初戦敗退)。
- 2001年 - 都市対抗野球でベスト8進出。
- 2003年 - 活動停止。
主要大会の出場歴・最高成績
[編集]- 都市対抗野球大会 - 出場6回、8強1回(2001年)
- 社会人野球日本選手権大会 - 出場1回
- JABA伊勢大会 - 優勝2回(1995年、2000年)
- JABA高山市長旗争奪飛騨高山大会 - 優勝4回(1995年、1996年、1998年、1999年)
出身プロ野球選手
[編集]- 西山道隆(投手) - 休部に伴い米・独立リーグのウィニペグ・ゴールドアイズ、四国アイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツを経て、2005年育成選手ドラフト2位で福岡ソフトバンクホークスに入団
- 衣川篤史(捕手) - 休部に伴い住友金属鹿島に移籍し、2006年大学生・社会人ドラフト4位で東京ヤクルトスワローズに入団
元プロ野球選手の競技者登録
[編集]- 林純次 - 投手(1999年 - 2003年)→休部に伴い西濃運輸に移籍 ※1961年の柳川事件以降30年余り断絶されていた元プロ野球選手のアマチュア復帰第1号選手
- 前原博之 - 内野手兼任コーチ(2001年 - 2002年)→引退し社業に就き、2007年に退社