春竹村
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はるたけむら 春竹村 | |
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廃止日 | 1921年6月1日 |
廃止理由 |
編入合併 黒髪村、池田村、花園村、島崎村、横手村、古町村、本庄村、大江村、本山村、春竹村、春日町 → 熊本市 |
現在の自治体 | 熊本市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 熊本県 |
郡 | 飽託郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
隣接自治体 | 本庄村、大江村、本山村、日吉村、出水村、田迎村 |
春竹村役場 | |
所在地 | 熊本県飽託郡春竹村 |
座標 | 北緯32度47分33秒 東経130度42分41秒 / 北緯32.79242度 東経130.71136度座標: 北緯32度47分33秒 東経130度42分41秒 / 北緯32.79242度 東経130.71136度 |
ウィキプロジェクト |
春竹村(はるたけむら)は、熊本県の北部、飽託郡にかつてあった村である。
地理
[編集]- 河川:大井手川
歴史
[編集]経済
[編集]産業
[編集]- 農業
『熊本県各郡市町村蚕糸業一覧 明治28年』によると、春竹村の養蚕戸数は4戸、繭産額は12石、製糸戸数は1戸である[1]。
- 商業
『日本海陸物産商名鑑』によると、春竹村の米穀商は上農幸七がいた[2]。
- 屠場
春竹村の春竹屠畜場は被差別部落と密接な関係性をもっていた[3]。明治以前から春竹村の一部に被差別部落のあったことは明らかであり、そこには恐らく屠所があって、屠者が居住していたのであるが、村全体は被差別部落をなしていたのではなかった[3]。明治初め頃には春竹村には2ヶ所の屠畜場が存在していたが、それを統合する形で明治14 - 5年頃には貫出屠場ができ、その後貫出屠場は春竹村屠場と呼ばれるとともに、明治、大正、昭和と40数年間に亘って存続した[3]。
学校
[編集]- 春竹小学校(のちの春竹尋常小学校、現在の熊本市立春竹小学校)
脚注
[編集]- ^ 『熊本県各郡市町村蚕糸業一覧 明治28年』19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年10月27日閲覧。
- ^ 『日本海陸物産商名鑑』990頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年10月27日閲覧。
- ^ a b c 馬肉生産をめぐる一考察 熊本市の事例を中心に68 - 69頁、八木 正、同和問題研究 大阪市立大学同和問題研究室紀要19巻。2022年10月28日閲覧。
参考文献
[編集]- 『熊本県各郡市町村蚕糸業一覧 明治28年』熊本県内務部、1897、1898年。
- 伊藤吉四郎編『日本海陸物産商名鑑』北海道通信社、1918年。