春田将吉
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時代 | 戦国時代 - 江戸時代 |
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生誕 | 天文2年(1533年) |
死没 | 慶長10年7月8日(1605年8月22日) |
別名 | 與八郎、猪之助、半兵衛 |
主君 | 松平信康、徳川家康、池田輝政 |
氏族 | 八田氏→春田氏 |
父母 |
父:八田将長、母:春田政秀の娘 養父:春田政秀 |
子 |
久次、吉次、堀内六郎兵衛室 養子:重兵衛 |
春田 将吉(はるた まさよし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。
経歴
[編集]八田将長の子として生まれ、母方の祖父・春田政秀の養子となる。初め松平信康に仕え、長篠の戦いで戦功を挙げた。その後徳川家康に仕え、天正12年(1584年)の長久手の戦いにおいては岩崎城に使者として赴いた際、既に落城しており、敵兵が丹羽氏重の首を持って走っているところを追跡し、その首を奪い返した。その後、池田輝政に仕えた。慶長10年(1605年)7月8日、播磨国において73歳で死去。
系譜
[編集]参考文献
[編集]- 『寛政重脩諸家譜』第2輯,國民圖書,1923. 国立国会図書館デジタルコレクション 592コマ目 https://dl.ndl.go.jp/pid/1082719/1/592 (参照 2024-08-01)