コンテンツにスキップ

春田将吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
春田 将吉
時代 戦国時代 - 江戸時代
生誕 天文2年(1533年
死没 慶長10年7月8日1605年8月22日
別名 與八郎、猪之助、半兵衛
主君 松平信康徳川家康池田輝政
氏族 八田氏春田氏
父母 父:八田将長、母:春田政秀の娘
養父:春田政秀
久次吉次堀内六郎兵衛
養子:重兵衛
テンプレートを表示

春田 将吉(はるた まさよし)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将

経歴

[編集]

八田将長の子として生まれ、母方の祖父・春田政秀の養子となる。初め松平信康に仕え、長篠の戦いで戦功を挙げた。その後徳川家康に仕え、天正12年(1584年)の長久手の戦いにおいては岩崎城に使者として赴いた際、既に落城しており、敵兵が丹羽氏重の首を持って走っているところを追跡し、その首を奪い返した。その後、池田輝政に仕えた。慶長10年(1605年)7月8日、播磨国において73歳で死去。

系譜

[編集]

参考文献

[編集]