春日神社 (名古屋市中区)
春日神社 | |
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所在地 | 愛知県名古屋市中区大須3-46-34 |
位置 | 北緯35度09分28.3秒 東経136度54分18.9秒 / 北緯35.157861度 東経136.905250度座標: 北緯35度09分28.3秒 東経136度54分18.9秒 / 北緯35.157861度 東経136.905250度 |
主祭神 | 武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神 |
社格等 | 旧郷社 |
創建 | 天暦2年(948年) |
例祭 | 10月19日[1] |
春日神社(かすがじんじゃ)は、愛知県名古屋市中区大須3丁目46-34にある神社。社格は旧郷社[2]。
祭神
[編集]歴史
[編集]創建
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4f/Kasuga-taisha%2C_chumon-1.jpg/220px-Kasuga-taisha%2C_chumon-1.jpg)
神護景雲年間(767年~770年)に大和国奈良の春日大社が創建された際、常陸国の鹿島神宮から神霊を遷座する折、尾張国山田庄の当地に仮泊した[1]。天暦2年(948年)、郡司の藤原某がこのことに因んで武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神の春日四柱大神を奉祀したのが春日神社の起源である[1]。
中世・近世
[編集]文亀年間(1501年~1504年)、小林城主の牧長清が前津村の氏神として社殿を造営するなどした[1]。この際、春日大社の猿沢池に倣って社殿の西側に大池を造営したが、この池はいつしか消滅した[3]。なお、牧長清は小林村の氏神として三輪神社を祀っており、富士浅間神社を再興している。
その後、代々の尾州藩主の崇敬を受け、2代藩主の徳川光友の母が乳の病に悩まされた際には、春日神社の神木を祀って平癒されたことで、お産の守神として崇敬を集めた[1]。9代藩主の徳川宗睦からは石灯籠、釣灯籠、鈴などの寄進を受けた[1]。
正徳2年(1712年)、享保3年(1718年)、元文5年(1740年)、宝暦8年(1758年)、天保2年(1831年)には社殿の修復を行った記録がある[3]。江戸時代にはまず醍醐院が春日神社の別当を務め、その後泰昌寺が明治維新まで別当を務めている。
近代・現代
[編集]明治初期には近代社格制度による村社に列せられた[3]。1894年(明治27年)にも社殿の修復を行った[3]。1905年(明治38年)、春日大社から雌雄の鹿を譲り受けて境内で飼育を始めた[3]。1911年(明治44年)には例祭に出す神輿が新調された[3]。
太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)3月12日や3月19日には大須が空襲を受け、本殿、拝殿、社務所などあらゆる建物が焼失した[1]。1958年(昭和33年)から約3年をかけて、本殿、幣殿、廊門、廻廊、手水舎などを造営した[1]。
旧称は春日大明神または春日社[3]。名古屋市に春日信仰は少ないとされる[4]。
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玄関
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鳥居
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手水舎
行事
[編集]![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f8/Kasuga-jinja_komashika_2025-01_ac_%282%29.jpg/220px-Kasuga-jinja_komashika_2025-01_ac_%282%29.jpg)
- 1月1日 - 歳旦祭
- 2月3日 - 節分祭
- 7月25日 - 赤丸祭
- 10月18日 - 秋大祭前日祭
- 10月19日 - 秋例大祭
- 12月31日 - 大祓
- 12月31日 - どんど焼
現地情報
[編集]- 所在地
- 交通アクセス
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『名古屋市史 社寺編』名古屋市役所、1915年
- 『愛知県神社名鑑』愛知県神社庁、1992年
外部リンク
[編集]- 大須 春日神社 全国春日連合会