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星光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

星 光(ほし ひかる、1891年明治24年)12月)- 1963年昭和38年)8月14日[1])は、日本実業家小田原急行鉄道監査役[2]、鬼怒川水電理事[3]を務めた。

逓信大臣星亨の養嗣子で長男[2]。妹の長男に独文学者山下肇がいる[4]

母方を通して、幕末豪商として知られる「伊勢八」の七代目・加太八兵衛の出た「加太(かぶと)家」の子孫であり、同じく加太家の子孫である評論家加太こうじとは遠縁に当たる。

来歴・人物

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1891年、福島錩之助と只女(旧姓、加太)の次男として生まれる。その後、逓信大臣星亨の養嗣子として星家の養子となる[4]1901年明治34年)、父亨の死去に伴い家督相続する[2]麻布中学を経て[5]1914年大正3年)中央大学英法科卒業[3]。同10年欧米各国巡遊する[3]。1926年、赤坂中ノ町の自邸が火事となる[6]。1937年、小田急電鉄監査役に就任。戦後まもなく心臓病で倒れ療養生活に入り、1963年に東京・世田谷の自宅で死去[1]

宗教日蓮宗[3]。趣味は銃猟登山運動[3]東京府在籍[2]

その他

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星文庫(ほしぶんこ) は星亨の旧蔵書コレクションである[7]。万を数えるとまでと言われたコレクションを、明治39年(1906年星光および遺族より慶應義塾へ委託、大正2年(1913年)に正式に寄贈された[7]

家族・親族

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星家

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東京赤坂中ノ町[8]神奈川県鎌倉郡鎌倉町[2]
星亨
当家は先代より顕る[8]
  • 父・(政治家)
1850年嘉永3年)4月生 - 1901年(明治34年)6月没
  • 妻・(葛目清司三女)[8]
1893年(明治26年)10月生[8] - 没
  • 長男・[8]
1913年(大正2年)8月生[8] - 没
  • 長女・松子[8]
1916年(大正5年)2月生[8] - 没
1918年(大正7年)生[3] -
1919年(大正8年)11月生[8] -
1923年(大正12年)12月生[8] -
1925年(大正14年)9月生[8] -
1928年(昭和3年)生[3]
1930年(昭和5年)生[3]

脚注

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  1. ^ a b 朝日新聞1963年8月15日付け「訃報」東京朝刊15頁
  2. ^ a b c d e 『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下ホ八
  3. ^ a b c d e f g h i j k 『第十三版 大衆人事録.関東・奥羽・北海道篇』(帝国秘密探偵社 編)神奈川一〇七
  4. ^ a b 山下肇、加太こうじ『ふたりの昭和史』p.23,26
  5. ^ 朝日新聞「市役所議事堂染血七周年 星伊庭両家の近状」1907年6月21日付け朝刊6頁
  6. ^ 朝日新聞「星光 謝近火御見舞」1926年11月25日付け朝刊6頁
  7. ^ a b 星文庫 (ほしぶんこ)
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『人事興信録』(昭和3年)ホ七