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早川彌三郎

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早川 彌三郎(はやかわ やさぶろう、1869年明治2年)4月28日 - 没年不明)は、日本の裁判官

経歴

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1869年、三重県にて出生。1893年7月、明治法律学校卒業[1]。1893年12月の弁護士試験に及第して弁護士登録したものの、翌年12月の判事検事登用試験にも及第したため、司法官の道を選んだ。[1]

安濃津区裁判事を皮切りに、 四日市区、名古屋区地裁判事を経て、台湾総督府法院判官に転じた。1907年から約3年半に亘って、司法制度および訴訟手続法の研究のためドイツに留学し、ミュンヘン大学ハイデルベルク大学ベルリン大学で学んだ。 帰国後は覆審法院検察官となり、1921年、大審院検事に補された。

脚注

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  1. ^ a b 法院月報社 (1907). “本島法曹略傳 早川彌三郎君”. 法院月報 第1巻第2号: 64. 

参考文献

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  • 『明治大学小史:人物編』学文社、2011年