早乙女爲房
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早乙女爲房(さおとめ ためふさ、1840年3月18日(天保11年2月15日) - 1910年(明治43年))は、参謀本部陸地測量部の測量官を務めた陸軍技師。輯製20万分1地図の作成に携わった。
来歴・人物
[編集]天保11年(1840年)、静岡藩士として生まれる。幼名清太郎。明治4年2月30日に大学南校少得業生となった後、明治5年4月27日に陸軍省十二等出仕となり、明治20年(1887年)12月28日、陸軍六等技師(奏任官六等)に任ぜられる[1]。明治22年(1889年)4月17日には陸地測量師に任ぜられ[2]、明治29年(1896年)12月23日高等官六等に陞進[3]。
明治30年(1897年)1月15日に陸地測量部班長となり[4]、明治33年(1900年)3月29日依願免官となる[5]。
栄典
[編集]- 1891年(明治24年)1月29日 - 正八位[6]
- 1892年(明治25年)4月1日 - 従七位[7]
- 1893年(明治26年)6月29日 - 勲六等瑞宝章[8]
- 1895年(明治28年)
- 11月18日 - 明治二十七八年従軍記章[9]
- 12月19日 - 勲五等双光旭日章[10]
- 1897年(明治30年)3月1日 - 正七位[11]
- 1900年(明治33年)4月30日 - 従六位[12]
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 『官報』号外、明治20年12月29日。
- ^ 『官報』第1739号、明治22年4月20日。
- ^ 『官報』第4048号、明治29年12月24日。
- ^ 『官報』第4064号、明治30年1月29日。
- ^ 『官報』第5020号、明治33年3月30日。
- ^ 『官報』第2276号、明治24年2月3日。
- ^ 『官報』第2625号、明治25年4月2日。
- ^ 『官報』第3000号、明治26年6月30日。
- ^ 『官報』第4062号 附録、明治30年1月16日。
- ^ 『官報』第3749号 号外、明治28年12月25日。
- ^ 『官報』第4096号、明治30年3月2日。
- ^ 『官報』第5046号、明治33年5月1日。
参考文献
[編集]- 「従五位勲五等中村祐興以下八名叙位ノ件(国立公文書館)」 アジア歴史資料センター Ref.A10110638300