日道 (大石寺)
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日道(にちどう、弘安6年(1283年)- 暦応4年/興国2年2月10日(1341年2月26日))は、日蓮正宗総本山大石寺第4世の法主。
略歴
[編集]- 弘安6年(1283年)、伊豆国田方郡畠郷(静岡県函南町)で生まれる。
- 正安元年(1299年)、16歳で日目を師範として出家。日興にも仕えた。日目と同様、奥州でも布教した。
- 正和元年(1312年)8月27日、新田頼綱日善卒(日道父)(陸前本源寺過・墓銘)
- 11月11日、頼道・行道・行時・日道の四人連署して新田頼綱遺領の配分を定む。
- 4月28日、鬼鶴御前駿河蒲原関ケ島の地を日道に寄す。
- 日目の命により陸奥宮野に妙円寺を創す。
- この年に日蓮以来の史伝書として『御伝土代』を著した。『御伝土代』は、日蓮の誕生日を「2月16日」と明示する門下最古の文献。
- 1月21日、大石寺において日目の百ケ日忌を修す。
- 9月27日、新田孫五郎(日道弟)が、陸奥国宣を受ける。
- 6月6日、諌暁八幡抄に奥書す。
- 8月4日、日目の筆写した『法華題目抄』に奥書す。
- 延元2年(1337年)、大石寺塔中本住坊を創す。
- 延元3年(1338年)10月13日、本尊を書写し陸前一迫多々次郎為重・河東左近将監に授与。
- 延元4年(1339年)6月、5世日行に血脈を付す。
- 興国2年(1341年)2月26日、59歳で死去した。
補足
[編集]- 日目の死後に日道と日郷の間には「郷道論争」と呼ばれる根深い確執が生じているが、その真相は大石寺(日道)側が主張する如く、東坊地の相続争いという見方と、小泉久遠寺・保田妙本寺側(日郷)が主張する如く日目の跡目に関わるものだったという見方がある。
新六人
[編集]→新六人については日興#新六人を参照
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