日正寺 (札幌市)
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所在地 |
日本 北海道札幌市北区北36条西4丁目1番1号 |
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位置 | 北緯43度06分12.0秒 東経141度20分26.9秒 / 北緯43.103333度 東経141.340806度座標: 北緯43度06分12.0秒 東経141度20分26.9秒 / 北緯43.103333度 東経141.340806度 |
山号 | 法泉山 |
宗旨 | 仏教 |
宗派 | 日蓮正宗 |
創建年 | 1918年(大正7年)9月6日[1] |
開基 | 第56世法主日応 |
法人番号 | 8430005000317 |
日正寺(にっしょうじ)は、北海道札幌市北区に所在する日蓮正宗の寺院。山号は法泉山(ほうせんざん)。
所在地
[編集]概要
[編集]1918年(大正7年)8月、開道五十年記念北海道博覧会の札幌での開催に際し、見物客多数が札幌に集まる好機に、第56世日応、阿部法運(後の第60世日開)、小笠原慈聞、有元広賀(妙光寺第2代・大慈院日仁贈上人)が来札、街頭布教が行なわれる[2][3]。この時、新入信者十数名を教化する成果に、ようやく意気上がる機会を得る。訳あって江別の関伊助宅に安置していた廃寺の法道山興隆寺安置の御本尊と御影を札幌山鼻町の仮布教所に遷座。9月6日、日応が親教し、念願の札幌開教をなす。
翌1919年(大正8年)に北10条の地に、1954年(昭和29年)に現在地へと、年輪を重ねるにつれ道都札幌の発展に伴い寺檀共に隆盛著しく、特に第4代住職・常義院日誉贈上人(秋山海学)時代の発展は高度経済成長も手伝い目覚ましく、1983年(昭和58年)10月20日に現在地にて本堂の建替新築をなす。第66世日達親教(昭和50年)で「北海道におけるところの本山格の寺と面目を一新」[4]との指南をもって第67世日顕が「玄関のロビーに『法礎』とおしたためくださいましたこの日正寺」[5]と落慶法要の祝辞にあるように、全国の末寺中有数の規模にまで発展興隆するに至る。[6]
起源と歴史
[編集]- 1906年(明治39年)5月8日 - 江別村(現在の江別市)に第25号石狩教会所設置が北海道庁長官より許可される[7]。開基は日蓮正宗総本山第56世法主日応[8]。
- 1918年(大正7年)9月6日 - 第56世日応、現在の札幌市北区北12条西1丁目に札幌布教所の開堂法要を奉修(開基は第56世日応、この日を札幌開教記念日と定める)[10]。
- 1921年(大正10年)
- 1924年(大正13年)1月7日 - 真弓智広担任教師を辞職[14]。
- 5月2日 - 兼務担任教師に小樽教会担任教師・真弓智広[14]。
- 1925年(大正14年)5月14日 - 第2代担任教師に西方慈正[15]。
- 1926年(大正15年)
- 1940年(昭和15年)11月29日 - 第3代担任教師逝去[18]。
- 1942年(昭和17年)2月20日 - 兼務担任教師に小樽教会担任教師・辰野慈忠[12]。
- 1944年(昭和19年)2月5日 - 第4代主管者に秋山海学[12][19]。
- 1948年(昭和23年)
- 1954年(昭和29年)
- 1955年(昭和30年)3月11日 - 第64世日昇親教、一泊[22]。
- 1957年(昭和32年)
- 1958年(昭和33年)7月6日 - 第65世日淳立寄、お手植え[26]。
- 1959年(昭和34年)
- 1960年(昭和35年)11月4日 - 第66世日達立寄、休憩[26]。
- 1964年(昭和39年)10月31日 - 第66世日達一行、宿泊[31]。
- 1965年(昭和40年)4月11日 - 第66世日達一行、休憩[32]。
- 1966年(昭和41年)
- 1968年(昭和43年)9月19日 - 第66世日達、札幌開教50周年法要を奉修、親教[36][37]。
- 1969年(昭和44年)
- 1971年(昭和46年)9月5日
- 1972年(昭和47年)9月12日 - 第66世日達、竜口法難会奉修[43][44]。
- 1973年(昭和48年)7月12日 - 第66世日達立寄[45]。
- 1975年(昭和50年)
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)
- 1978年(昭和53年)
- 1979年(昭和54年)8月2日 - 日蓮正宗総監に第3代担任教師子息・藤本榮道[55]。
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 1983年(昭和58年)10月20日 - 第67世日顕、札幌開教65周年現本堂新築落慶法要を奉修、親教[59][60]。
- 1986年(昭和61年)9月27日 - 第4代住職、北海道石狩町(現石狩市)生振に分院を建立、落慶入仏法要を奉修[61]。
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)6月17日 - 第5代住職、北海道第一布教区宗務支院長に任ぜられる[69]。
- 1991年(平成3年)9月29日 - 「平成6年法華講地涌6万人大結集」に向け1,100余名が結集し満堂の本堂にて決起大会開催[70]。
- 1992年(平成4年)
- 1994年(平成6年)7月24日 - 「地涌六万人大結集」に1,241人が総本山に登山結集[74]。
- 1999年(平成11年)9月28日 - 第6代住職に財務部長・長倉教明[75]。
- 2000年(平成12年)
- 2005年(平成17年)
- 2015年(平成27年)2月21日
- 2016年(平成28年)12月12日 - 宗務院渉外部長から同庶務部長に第4代住職弟子・秋元日高[83]。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
- 2019年(令和元年)7月20日 - 第68世日如、札幌開教100年記念法要を奉修、親教[88][89][90]。
- 2023年(令和5年)12月14日
歴代住職(担任教師)
[編集]- 初 代 九州阿智広房日義大徳(真弓姓)
- 第2代 仙台阿慈正房日順大徳(西方姓)
- 第3代 志田阿玄奘房日素大徳(藤本姓)
- 兼 務 天竜阿慈忠房日信大徳(辰野姓、歴代には数えない)
- 第4代 常義院日誉贈上人(秋山姓、興隆阿闍梨海学)
- 第5代 妙恭阿慈篤房日信大徳(河邊姓)
- 第6代 慧真院日延贈上人(長倉姓、法覚阿闍梨教明)
- 第7代 藤原広行(妙因阿闍梨)
※初代担任教師と第4代住職は大慈院日仁贈上人(有元広賀)の弟子、第7代住職は同贈上人の孫弟子。 ※故人の法号は生振分院歴代墓所供養塔の刻印参照
寺院周辺
[編集]- 札幌新道
- 麻生自動車学校
交通アクセス
[編集]- 鉄道
- 自家用車
- 札樽自動車道札幌北インターチェンジ小樽方向から3分、旭川・苫小牧方向から5分。
- 駐車場有。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 『日正寺五十年史』秋山海学[日誉]編、昭和44年10月30日、巻頭 序「日正寺の開創は大正七年であって…」
- ^ 『北海タイムス』紙(『北海道新聞』の前身)大正7年8月31日 第9949号(3面)「●日蓮正宗活動 山鼻町日蓮正宗布教所にては先般来、田邊法広師布教中の処、今回東京より口演布教監督有元広賀師及び文書布教監督田邊惜道居士来札し、或は会場に於て或は路傍に於て布教すべく尚数日後には大僧正前管長大石日応上人来札権威ある講演を為す由」
- ^ 札幌市教育委員会編『札幌の寺社』p.264
- ^ a b 『達全』2-4p.345
- ^ 『日正寺総合建設落慶法要記念写真集』「布教区代表祝辞」p.なし(以下『記念写真』)
- ^ 『妙教』36号p.34参照
- ^ 『日正寺五十年史』p.19(以下『五十年史』)
- ^ 『五十年史』p.20
- ^ 『五十年史』p.16
- ^ 『五十年史』pp.148-149年表
- ^ 『大日蓮』大正10年3月号pp.23-24「北海道通信」
- ^ a b c 『五十年史』p.150年表
- ^ 『五十年史』p.36
- ^ a b 『五十年史』p,45, p.149年表
- ^ a b 『五十年史』p.149年表
- ^ 『五十年史』p.149年表,pp.46-54
- ^ 『月刊 大日蓮』第11巻第6号pp.28-29「雑報 ■快報来る」,同巻第7号pp.10-18「◎札幌法論」,同巻第8号pp.12-17「◎札幌法論」
- ^ 『月刊 大日蓮』第26巻第1号 巻頭「宗務院録事」,pp.27-28「雑報」
- ^ 『月刊 大日蓮』第29巻第3号p.1 「秋山慈學」は「秋山海學」の誤り
- ^ 『五十年史』p.70「寺号は一般より募集に決し(中略)日正寺というのが最多数」
- ^ 『五十年史』pp.70-73
- ^ a b c 『五十年史』p.151年表
- ^ 『五十年史』p.89
- ^ 『大日蓮』133号p.4
- ^ 『五十年史』p.90「日淳上人御来駕」より
- ^ a b c 『五十年史』p.152年表
- ^ 『五十年史』p.91「棟札を日淳上人に御願い申し上げたところ、四月二日附をもって『法泉山』という山号を下附」
- ^ 『大日蓮』164号p.7
- ^ 『五十年史』pp.108-109
- ^ 『五十年史』pp.108-110
- ^ 『五十年史』p.153年表
- ^ 『五十年史』p.154年表
- ^ 『大日蓮』251号pp.41-42
- ^ 『大日蓮』251号p.18
- ^ 『大日蓮』251号p.17
- ^ 『大日蓮』273号pp.45-48
- ^ 親教説法:『大日蓮』277号pp.5-15,『達全』1-2pp.600-611/『達全』「九月十日」は「九月十九日」の誤り
- ^ 『大日蓮』279号p.9
- ^ 『達全』2-6pp.3-4
- ^ 『大日蓮』309号pp.35-38
- ^ 慶讃文:『達全』2-1pp.83-84
- ^ 『達全』2-6pp.79-80
- ^ a b c d e f 『記念写真』略年表
- ^ 『達全』2-5pp.427-440
- ^ 『達全』2-6pp.175-177
- ^ 『大日蓮』357号pp.57-59
- ^ 『達全』2-4pp.343-360
- ^ 『達全』2-6pp.452-453
- ^ 『達全』2-6pp.535-539
- ^ 『記念写真』略年表(※「略年表」では19日になっているが21日の朝勤を考慮すると19日は誤りか)
- ^ 『達全』2-7pp.80-83
- ^ 『大日蓮』393号pp.98-100
- ^ 慶讃文:『達全』2-1pp.282-284
- ^ 『達全』2-7pp.213-215
- ^ 『大日蓮』403号p.8
- ^ 『大日蓮』418号pp.107-110
- ^ 『大日蓮』423号p.13
- ^ 『大日蓮』428号p.23
- ^ 『大日蓮』454号p.106
- ^ 親教説法:『大日蓮』476号pp.11-21,『大日蓮』477号pp.12-32,『顕全』1-3pp.43-64
- ^ 『大日蓮』489号p.97
- ^ a b 『大日蓮』507号p.24
- ^ 『大日蓮』507号p.104
- ^ 『大日蓮』513号p.102
- ^ 『大日蓮』514号p.101
- ^ 『大日蓮』514号p.103
- ^ 『大日蓮』514号p.104
- ^ 『大日蓮』515号p.34
- ^ 『大日蓮』522号p.8
- ^ 支部機関紙『法泉』3号p.2
- ^ 『大日蓮』561号p.97
- ^ 親教説法:『大日蓮』578号pp.15-41,『大日蓮』580号pp.17-34
- ^ 『法泉』9号p.2
- ^ 『法泉』22号p.1
- ^ 『大日蓮』645号p.11
- ^ a b 『大日蓮』651号p.47
- ^ 『大日蓮』651号p.103
- ^ a b 『大日蓮』711号p.10
- ^ 『大日蓮』715号p.5
- ^ 『大日蓮』719号p.43
- ^ 『大日蓮』830号p.17
- ^ 『大日蓮』830号p.104
- ^ 『大日蓮』840号p.11
- ^ 『大日蓮』859号p.90
- ^ 『大日蓮』859号pp.92-93
- ^ 『大日蓮』860号p.11
- ^ a b 『大日蓮』874号p.14
- ^ 『大日蓮』883号pp.94-100
- ^ 『妙教』324号pp.43-46
- ^ 現行『法泉』20号
- ^ a b 院達第5663号