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日根野高継

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
日根野高継
時代 江戸時代前期
生誕 不詳
死没 寛永3年(1626年
戒名 逸閑
墓所 勝林寺(東京都豊島区)
官位 左京亮
幕府 江戸幕府
主君 徳川家康徳川秀忠徳川家光
氏族 日根野氏
父母 父:日根野高吉、母:戸田忠成
兄弟 吉明高継、高当、女(柴田勝政室)、盛寿院(伊木忠次継室)
高次、高真、女(藤堂嘉利室)
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日根野 高継(ひねの たかつぐ)は江戸時代旗本日根野高吉の次男、母は戸田忠成の女。

慶長7年(1602年)より徳川家康に仕える。美濃国安八郡石津郡多芸郡方県郡大野郡山県郡厚見郡の7郡内において采地7000石を賜う。後に小姓となり、大坂の陣に従軍する。元和3年(1617年)5月26日、采地の朱印を受ける。寛永3年(1626年)死去。法名は逸閑。駒込勝林寺に葬られる[1]

出典

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  1. ^ 寛政重修諸家譜』巻第九百八十四