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日因 (大石寺)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

日因(にちいん、1687年11月21日貞享4年10月17日) - 1769年7月17日明和6年6月14日))は、大石寺第31世法主。経道院。能化補任前は覚応坊日相と号した。

略歴

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  • 1687年(貞享4年)10月17日、陸奥国黒須野に誕生。
  • 1705年(宝永2年)磐城阿本因坊日完を師として出家得度。
  • 1708年(宝永5年)上総細草檀林に入林。
  • 1717年(享保2年)9月12日、磐城黒須野妙法寺15代磐城阿本因坊日完〔日因の師〕寂。
  • 1724年(享保9年)3月13日、父智泉院法久日遠卒。
  • 1728年(享保13年)3月15日、上総広瀬に本城寺を創す。8月10日、因縁要文を著す。
  • 1729年(享保14年)11月、御書拝見科要記を著す。
  • 1730年(享保15年)5月1日、御書私科文を著す。
  • 1732年(享保17年)細草檀林第37代化主となる。
  • 1733年(享保18年)5月15日、法華教主事を著す。
  • 1736年(元文元年)、大石寺10代学頭となる。
  • 1738年(元文3年)6月13日、総勘文抄講談を著す。6月19日、開目抄上私記を著す。8月4日、母妙久日成卒。
  • 1739年(元文4年)5月2日、開目抄文科を著す。
  • 1740年(元文5年)5月8日、当家聞書を著す。6月10日、報恩抄文段講記2巻を録す。10月11日、長阿含22巻抜要を録す。
  • 1740年(元文5年)11月13日、日忠より法の付嘱を受け、31世日因として登座。撰時抄寛記扶助書を著す。
  • 1744年(寛保4年)2月、大石寺塔中理境坊本堂安置の板本尊を書写。
  • 1744年(延享元年)6月18日、壽量品得意抄を著す。12月4日、広宣流布事を著す。
  • 1745年(延享2年)5月13日、大石寺塔中東之坊を創す。6月28日、富士記上巻を著す。7月4日、富士記下巻を著す。
  • 1746年(延享3年)6月8日、五重宝塔釿始めの儀式(起工式)執行。7月、客殿大過去帳を再調。
  • 1747年(延享4年)6月7日、妙荘厳王品末法流通記を著す。
  • 1749年(寛延2年)2月28日、大石寺五重塔安置本尊を書写。
  • 1749年(寛延2年)6月、大石寺五重塔建立。
  • 1750年(寛延3年)8月25日、法を32世日教に付嘱し、東之坊に移る。
  • 1752年(宝暦2年)3月28日、法華本門常住不滅肝要抄を著す。3月下旬、十法界抄科文を著す。5月4日、釈迦佛供養抄記を著す。6月11日、木絵二像開眼事記を著す。6月29日、常忍抄記を著す。
  • 1753年(宝暦3年)2月7日、末法初心成佛奥旨を著す。
  • 1756年(宝暦6年)4月14日、臨終正念得意之事を著す。6月4日、日目新田家系図1紙を図し陸前本源寺等4ケ寺へ配布。8月12日、四種浄土事を著す。
  • 1757年(宝暦7年)4月8日、日有上人御物語聴聞抄佳跡3巻を著す。5月24日、人間界男女胎生左右異論之事を著す。
  • 1762年(宝暦12年)4月18日、成佛法華肝心口伝身造抄記を著す。4月28日、宗旨建立三四会合抄3巻を著す。
  • 1763年(宝暦13年)3月4日、新田・南条両家之事を著す。
  • 1764年(宝暦14年)4月28日、大石寺塔中蓮成坊安置の板本尊を書写。
  • 1765年(明和2年)8月12日、当家袈裟数珠之口伝を著す。10月26日、種脱妙塔供養勝劣抄を著す。
  • 1769年(明和6年)6月14日、83歳で死去した。

その他、大石寺塔中南之坊安置の板本尊(年月日不明、脇書に「大石寺持仏堂安置本尊」とあり)も書写している。


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