コンテンツにスキップ

日和山 (名取市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日和山
閖上の日和山(2014年10月)
標高 6.3 m
所在地 宮城県名取市閖上東2丁目13-1
(旧住所・宮城県名取市閖上4丁目18番地内)
位置 北緯38度10分20.8秒 東経140度57分13.5秒 / 北緯38.172444度 東経140.953750度 / 38.172444; 140.953750座標: 北緯38度10分20.8秒 東経140度57分13.5秒 / 北緯38.172444度 東経140.953750度 / 38.172444; 140.953750
山系 (独立峰)
種類 築山
日和山 (名取市)の位置(宮城県内)
日和山 (名取市)
日和山 (名取市) (宮城県)
日和山 (名取市)の位置(日本内)
日和山 (名取市)
日和山 (名取市) (日本)
プロジェクト 山
テンプレートを表示

日和山(ひよりやま)は、宮城県名取市閖上にある築山である。かつては中嶋山とも呼ばれた[1]

概要

[編集]
震災後、山頂から北西方向の眺望(2011年4月6日撮影)

名取市北東端の太平洋仙台湾に面した場所にあり、名取川河口の南岸、貞山運河の東、閖上漁港がある広浦の西に位置する。震災前は山の東側に日和山公園(2012年3月廃止)[2]があり、同園に接続するように石段の登山道(参道)が設置されていた。

過去の写真から、建造当初は2段の階段ピラミッドのような形状だったことが分かるが、経年変化により山体は丸みを帯びたいびつな円錐台になった[1][3]。平坦な山頂には、忠魂碑と富主姫神社社殿(閖上2丁目の湊神社から遷座)とがあったが、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)に伴う津波で社殿が流失した。震災後、閖上地区一帯を見渡せる当山には多くの人が訪れるようになり、鎮魂の場となっている。

年表

[編集]
  • 1920年(大正9年)、在郷軍人分会により建設が計画され、村民らの勤労奉仕によって日和山が造成された[3]
  • 2011年(平成23年)
    • 3月11日、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)に伴う津波に山体がのみこまれ、山頂の富主姫神社が流失。山頂に残った樹木等には、山頂より2.1m上方まで水位が上がった痕跡が見つかった[4]
    • 6月9日、富主姫神社の神籬が建立された[5]。また、同様に流失した湊神社の分霊も建立された[5]
  • 2012年(平成24年)3月30日、閖上地区の復興事業に伴う仙塩広域都市計画が決定、都市公園2・2・651号日和山公園(面積0.48ha)が廃止[2]
  • 2019年(令和元年)5月26日 - 日和山周辺を整備し、名取市震災メモリアル公園としてオープン[6][7]

周辺

[編集]

アクセス

[編集]
  • 自動車
仙台東部道路名取ICから2.1km。
震災メモリアル公園に駐車場が整備されている。
  • バス
JR名取駅前より、名取市バス「なとりん号」閖上線に乗り、「震災メモリアル公園」バス停下車。
震災前に当山付近にあった「閖上」バス停(ミヤコーバス仙台市営バス)は廃止された。

脚注

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]