日向軌道
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日向軌道 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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路線総延長 | 23.1 km | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
軌間 | 762 mm | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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日向軌道(ひゅうがきどう)は、かつて宮崎県に存在した貨物専業[1]の馬車鉄道、人車軌道路線、およびその軌道経営者。
宮崎軽便鉄道(後の国鉄妻線)の杉安駅を起点として二軒橋までを結んでおり、そこから先は更に銀鏡軌道(しろみきどう)と接続していた。主な目的は木材輸送である。
沿線には鉄橋遺構も残されているが、終点である二軒橋は廃止後から数年、一ツ瀬ダムの完成によって水没している。
会社概要
[編集]1928年(昭和3年)頃[2]
- 本社:宮崎県児湯郡上穂北村
- 資本金:250000円
路線データ
[編集]- 路線距離:杉安 - 二軒橋間23.1km
- 軌間:762mm
沿革
[編集]- 1925年(大正14年)7月18日 特許[2][3][4]
- 1925年(大正14年)8月29日 会社設立[2][5]
- 1927年(昭和2年)7月8日[1][3]または7月9日[2] 開業
- 1929年(昭和4年)4月18日 軌道特許状下付(児湯郡三納村-同郡西米良村間)[6]
- 1930年(昭和5年)1月1日 乗合自動車路線(児湯郡上穂北村-穂北-同郡妻町間 7キロ)開通[7]
- 1931年(昭和6年)6月9日 工事施工認可申請期限延期許可(期限1931年10月17日)[8]
- 1932年(昭和7年)5月7日 工事施工認可申請期限延期許可(期限1932年10月17日)[9]
- 1933年(昭和8年)2月23日 工事施工認可申請期限延期許可(期限1933年10月17日)[10]
- 1934年(昭和9年)2月1日 工事施工認可申請期限延期許可(期限1934年10月17日)[11]
- 1935年(昭和10年)8月28日 軌道特許失効(児湯郡西米良村大字越野尾-同村大字村所間 指定ノ期限マデニ工事施工ノ認可申請ヲ為ササルタメ)[12]
- 1945年(昭和20年)3月10日 廃止許可[1]
- 1949年(昭和24年) 西都営林署が片内駅より二軒橋手前の軌道を買収し片内林道(2級2,440m)として1952年まで使用した[13]
輸送・収支実績・車両数
[編集]年度 | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 無蓋貨車 |
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1927 | 報告書未着 | 17,176 | 16,254 | 922 | 償却金922 | 報告書未着 | ||
1928 | 9,955 | 54,018 | 47,257 | 6,761 | 自動車3,948 | 償却金5,609 | 8,904 | 25 |
1929 | 10,323 | 50,813 | 44,448 | 6,365 | 自動車1,269 | 雑損償却金3,215 | 1,112 | 16 |
1930 | 9,152 | 36,151 | 30,580 | 5,571 | 自動車2,398 | 雑損償却金5,737 | 245 | 16 |
1931 | 5,106 | 20,239 | 16,648 | 3,591 | 自動車1,541 | 償却金5,486 | 127 | 10 |
1932 | 4,734 | 12,670 | 14,287 | ▲ 1,617 | 自動車924 | 64 | 10 | |
1933 | 6,376 | 12,008 | 17,328 | ▲ 5,320 | 自動車639 | 雑損償却金1,814 | 304 | 13 |
1934 | 8,037 | 16,211 | 18,956 | ▲ 2,745 | 雑損償却金717 | 4 | 13 | |
1935 | 8,242 | 17,454 | 21,881 | ▲ 4,427 | 雑損償却金2,035 | 15 | ||
1936 | 6,670 | 15,022 | 15,730 | ▲ 708 | 自動車1,729 | 11 | ||
1937 | 報告書未着 | |||||||
1939 | 8,311 | 22,153 | 29,751 | ▲ 7,598 | 自動車5,934 | 雑損2,426 | ||
1941 | 1,390 | 4,196 | 5,645 | ▲1,449 | 自動車227 |
- 鉄道統計資料、鉄道統計各年度版
脚注および参考文献
[編集]- ^ a b c 『日本鉄道旅行地図帳』12 九州沖縄
- ^ a b c d 『帝国鉄道年鑑』昭和3年版
- ^ a b 『鉄道統計資料』昭和3年版(国立国会図書館のデジタルコレクション)
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1925年7月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「軌道特許状下付」『官報』1929年4月22日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『全国乗合自動車総覧』1934保有台数2台。乗合自動車業について『全国乗合自動車業者名簿 : 昭和10年』では見当たらず本社同住所に日軌自動車が存在する
- ^ No.14「残区間工事施工認可申請期限延期ノ件」『日向軌道(一)・自大正十四年至昭和九年』110頁
- ^ No.16「西米良村字越野尾同村字所間工事施工認可申請期限延期ノ件」『日向軌道(一)・自大正十四年至昭和九年』128頁
- ^ No.18「西米良村字越野尾同村字所間工事施工認可申請期限延期ノ件」『日向軌道(一)・自大正十四年至昭和九年』135頁
- ^ No.20「工事施工認可申請期限延期ノ件」『日向軌道(一)・自大正十四年至昭和九年』142頁
- ^ 「軌道特許状一部失効」『官報』1935年8月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 矢部三雄『近代化遺産 国有林森林鉄道全データ(九州沖縄編)』熊本日日新聞社、2013年、56、201頁
- 『帝釈人車鉄道 -全国人車データマップ-』葛飾区郷土と天文の博物館〈かつしかブックレット15〉、2006年、76頁頁。
- 帝国鉄道協会(編纂)『帝国鉄道年鑑』(昭和3年版)帝国鉄道協会、東京市麹町区有楽町、1928年5月、p. 559頁 。
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
- 『日向軌道(一)・自大正十四年至昭和九年』(国立公文書館デジタルアーカイブ で画像閲覧可)