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方西園

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松鶴遐齢図 橋本コレクション

方 西園(ほう せいえん、乾隆元年(1736年) - 卒年不詳[1])はの商人・画家。江戸時代中期、日本に渡来し画技を伝える。

は濟、は巨濟・巨川、西園とした。安徽省旌徳県の生まれ[2]

略伝

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周西山を画の師とし、花卉図・翎毛鳥獣図・山水図などの水墨を得意とした。初来日は明和元年(1764年)とも安永元年(1772年)ともいう。安永3年(1774年)の来日記録ははっきりしている。安永9年(1780年)、45歳の時、元順号の副船主として渡海したが5月2日に房総沖で難破し安房国朝夷郡千倉に漂着。乗組員78名は全員無事だったが岩槻藩の唐人への待遇が悪く問題となった[3]。このとき杜澂が華音(中国語)に堪能であることから請われて通司を務めている。

日本船にて長崎に移送される途中、富士山を実見。西園は「目睹して実に大観なり」[4]と感激して絵筆を走らせたという。このほかにも日本各地を写生。後に谷文晁により「漂客奇賞図」として模刻される。その遠近法が当時大いに注目される。

伊東藍田真村廬江東東洋が画の教えを受け、谷文晁や渡辺崋山らも大きく影響を受けている。

脚註

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  1. ^ 『暢春楼展覧』凡例に「如巨川、晴湖、其人見存」との記述があり、寛政5年(1793年)の生存が確認できる。
  2. ^ 江蘇新安福建省とも
  3. ^ 『漂客紀事』
  4. ^ 『遊房筆語』

参考文献

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外部リンク

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