新貞老
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新 貞老(あたらし さだお[注 1]、1827年11月7日(文政10年9月18日[1][2]) - 1900年(明治33年)3月9日[1][3][注 2])は、幕末の鳥取藩士。明治時代の官吏。国学者。神職。佐渡県権知事、相川県権令。本姓は衣笠[1][2]。通称は初め田中良達、新庄恒蔵、五郎[1][2]。変名に池田謙斎[1]。雅号に真木園[1]。
経歴
[編集]因幡国高草郡村上村[注 3]に生まれる[1]。新武男の父[3]。国学を飯田秀雄に、紀州にて医学を、和歌を加納諸平に学ぶ[1]。
1860年(万延元年)国書掛となり、国学局教授に転任[1]。1862年(文久2年10月)国事周旋方となり京都に上った[1]。1863年(文久3年)本圀寺事件に参加し、大坂の獄につながれ、1867年(慶応3年)赦されて出獄した[1]。
1868年(明治元年4月)内国事務局書記、12月には権弁官となり、1869年(明治2年2月)奥羽民政巡察使を兼任し奥羽巡回中、7月に佐渡県権知事となる[1]。1871年(明治4年)佐渡県が相川県になると11月、同権令に任じた[4]。
1872年(明治4年12月)免官し、のち1890年(明治23年)12月、宇倍神社宮司となった[1]。1900年(明治33年)3月9日[1][3]、鳥取上町に没した[5]。著作に「万葉集摘英新釈」「催馬楽解」などがある[1][2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 保科保 編『地方沿革略譜』報告社、1882年 。
- 鳥取県立鳥取図書館 編『因伯人名録』鳥取県立鳥取図書館、1934年 。
- 大植四郎 編『国民過去帳:明治之巻』尚古房、1935年 。
- 日本歴史学会 編『明治維新人名事典』吉川弘文館、1981年。ISBN 9784642031141。
- 上田正昭ほか監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496。