新潟県立新潟盲学校
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新潟県立新潟盲学校 | |
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北緯37度53分37.2秒 東経139度5分11秒 / 北緯37.893667度 東経139.08639度座標: 北緯37度53分37.2秒 東経139度5分11秒 / 北緯37.893667度 東経139.08639度 | |
過去の名称 | 私立新潟盲唖学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新潟県 |
設立年月日 | 1907年7月17日 |
閉校年月日 | 2022年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
設置学部 | 幼稚部・小学部・中学部・高等部 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | E115210000042 |
所在地 | 〒950-0922 |
新潟県新潟市中央区山二ツ三丁目8番1号 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
新潟県立新潟盲学校(にいがたけんりつ にいがたもうがっこう)は、新潟県新潟市中央区山二ツ三丁目にあった公立特別支援学校。
1907年に新潟鍼灸治組合所属中林吉四郎らの動きがきっかけとなり、荒川柳軒、鏡渕九六郎、長谷川一詮、前田恵隆の4人が創立した。幼稚部、小学部、中学部、高等部の4学部構成で、高等部は普通科と理療科の2科に分かれる。また、理療科は本科保健理療科と、その上級課程の専攻科理療科からなる。
2006年3月31日に閉校した新潟県立高田盲学校の小・中学部が新潟県立上越養護学校(現新潟県立上越特別支援学校)内に当校の高田分校として新たに開設され、高等部は当校に統合された。しかし、高田分校は、2012年4月1日より休校、2013年3月31日をもって閉校した[1]。
本校も新潟県立新潟聾学校と統合し、2022年4月1日に新潟県立新潟よつば学園が新設された[2]。
教育目標
[編集]- 確かな判断力と、明るく健康で、粘り強い心身の育成
重点目標
[編集]- 社会について広く深く理解し、確かな判断力をもち、力強く生きていく児童生徒を育てる。
- 確実な基礎学力をもち、豊かな専門的知識技能を求め自ら鍛えていこうとする児童・生徒を育てる。
- 心身ともに健康で、たくましい活力にあふれた児童生徒を育てる。
沿革
[編集]- 1907年(明治40年)7月17日 - 設立許可が下りる
- 1907年(明治40年)10月10日 - 新潟市医学町通1番町に「私立新潟盲唖学校」として開校[3]。以後、同日を創立記念日とする
- 1910年(明治43年) - 新潟市西堀通3番町に移転[3]
- 1922年(大正11年) - 「新潟県立新潟盲学校」に改称
- 1930年(昭和5年) - 新潟市関屋金鉢山町53に移転[3]
- 1937年(昭和12年)6月12日 - ヘレン・ケラーが来校
- 1963年(昭和38年) - 新潟市山二ツに移転[3]
- 1997年(平成9年)10月12日 - 創立90周年記念式典を挙行
- 2022年(令和4年)4月1日 - 新潟県立新潟よつば学園に統合[2]
学校行事
[編集]- 4月
- 離任式、新任式、入学式、始業式
- 舎・新入舎生歓迎会
- 5月
- 高等部修学旅行
- 春の遠足
- 演劇鑑賞教室
- 6月
- 北信越盲学校フロアーバレーボール大会
- 北陸地区弁論大会
- 7月
- 舎・寄宿舎創立記念日
- 北信越盲学校グランドソフトボール大会
- 1学期終業式
- 8月
- 全国野球大会
- 9月
- マラソン大会
- 小・中等部修学旅行
- 10月
- 生徒会行事
- 進路講話
- 11月
- 北信越柔道大会
- 創立記念日
- 12月
- 2学期終業式
- 2月
- 校内音楽会
- 3月
- 舎・退舎生を祝う会
- 卒業式
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ 新潟盲学校トップ(通常版)
- ^ a b 新潟盲学校と新潟聾学校の統合・新設校の設置について - 新潟県 2022年5月8日閲覧。
- ^ a b c d 新潟盲学校だより第27号 - 新潟県 2022年5月8日閲覧。