新潟県立巻総合高等学校
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新潟県立巻総合高等学校 | |
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北緯37度45分16.7秒 東経138度53分26.7秒 / 北緯37.754639度 東経138.890750度座標: 北緯37度45分16.7秒 東経138度53分26.7秒 / 北緯37.754639度 東経138.890750度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 新潟県 |
併合学校 |
新潟県立巻農業高等学校 新潟県立巻工業高等学校 |
設立年月日 | 1946年4月18日 |
創立記念日 | 4月18日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 単位制 |
設置学科 | 総合学科 |
学校コード | D115210000205 |
高校コード | 15113A |
所在地 | 〒953-0041 |
新潟県新潟市西蒲区巻甲4295-1 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
新潟県立巻総合高等学校(にいがたけんりつ まきそうごうこうとうがっこう)は、全日制総合学科の公立高等学校。所在地は新潟県新潟市西蒲区巻甲。
沿革
[編集]経緯
[編集]同校は1930年に開所した県の高等農事講習所を前身とする。この講習所は1937年に進新農堂と改称した。1946年には、進新農堂の敷地・建物をそのまま受け継いで県立巻農学校が開校。1948年の学制改革に際して県立巻農業高等学校となり、2003年に県立巻工業高校と統合し、同時に総合学科に組織改編して県立巻総合高等学校となった。
前身2校の他、2016年3月閉校の西川竹園高校の学籍関係の事務を継承している[注釈 1]。
年表
[編集]- 1930年12月 - 高等農事講習所が開所。
- 1937年 - 進新農堂と改称。
- 1946年4月18日 - 進新農堂の敷地・建物を受け継いで新潟県立巻農学校として開校、開校式挙行。
- 1948年4月1日 - 学制改革にともない新潟県立巻農業高等学校となる。
- 1948年6月 - 定時制課程を設置し、巻・黒埼・内野・燕に分校をおく。
- 1952年4月 - 定時制燕分校を県立三条実業高等学校(現:県立三条商業高等学校)に移管。県立巻高等学校の定時制を本校に統合。吉田分校を設置。
- 1953年4月 - 定時制曽郷分校を設置。
- 1962年4月 - 定時制吉田分校を新設の県立吉田商業高校(現:県立吉田高等学校)に移管。
- 1967年4月 - 定時制曽郷分校を新設の県立西川竹園高等学校に移管。
- 1973年3月 - 黒埼分校の定時制課程募集停止、全日制課程設置。
- 1975年4月 - 黒埼分校が県立黒埼高等学校(現県立新潟翠江高等学校)として独立開校。
- 2003年4月 - 県立巻工業高校と統合し、総合学科に再編のうえ、巻農業高等学校を前身とし、新潟県立巻総合高等学校と改称する。
- 2006年9月30日 - 創立60周年記念式典を挙行。
教育目標
[編集]一人一人の個性の伸長と豊かな人間性を養い、社会の変化に主体的に対応できる幅広い教養と専門的知識・技術を身につけた、心身ともに健全な人材を育成する。 。
校歌
[編集]- 『新潟県立巻総合高等学校校歌』(作詞:小田切清光・作曲:小山章三)[1]
学校行事
[編集]体育祭 朝光祭(文化祭) 球技大会 生徒総会 修学旅行(2年時) 入学式 卒業式
部活動
[編集]- 陸上競技部
- バレーボール部
- バスケットボール部
- 卓球部
- バドミントン部
- サッカー部
- 野球部
- 柔道部
- レスリング部
- 空手道部
- ボクシング部
- ソフトテニス部
- 剣道部
- 美術部
- 茶道部
- 華道部
- 書道部
- 写真部
- 生物部
- 放送部
- 吹奏楽部
- 漫画・イラスト研究同好会
- 英語同好会
- パソコン同好会
- 調理同好会
- ホッケー同好会
- 山岳同好会
交通
[編集]著名な出身者
[編集]- 佐々木忠広 - ボクサー、バルセロナオリンピック日本代表
- 三上恭佑 - プロレスラー
- 真田聖也 - プロレスラー
- 宗村宗二 - レスリング選手、メキシコシティオリンピック日本代表
- 原喜彦 - レスリング選手、ソウルオリンピック日本代表
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]+ 公式ウェブサイト