新庄直詮
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文5年(1665年) |
死没 | 宝永5年3月16日(1708年5月6日) |
改名 | 直智(初名)、直詮 |
戒名 | 慈徳院殿春岩道翠大居士 |
墓所 | 東京都文京区本駒込の吉祥寺 |
官位 | 従五位下主殿頭 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱、綱吉 |
藩 | 常陸麻生藩主 |
氏族 | 新庄氏 |
父母 | 新庄直時、新庄直好娘 |
兄弟 | 直詮、直道、直成 |
妻 | 松平重栄長女、小牧氏 |
子 |
直祐、松平直員、松浦信尹、孝寛、 京極高周、関長張正室、松平親純、直矢ら |
新庄 直詮(しんじょう なおのり)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。常陸国麻生藩7代藩主。官位は従五位下・主殿頭。
生涯
[編集]寛文5年(1665年)、第4代および第6代藩主である新庄直時の長男として生まれる。
延宝5年(1677年)、父の死去により家督を継いで第7代藩主となる。天和元年(1681年)、上野沼田藩主・真田信利の改易・沼田城の没収に立ち会って、沼田城破却を務めた。元禄11年(1698年)、江戸屋敷類焼で家臣の借り上げ、倹約を行なっている。
元禄15年(1702年)、増山正弥の旧城である常陸国下館城の請け取りを行なった。宝永5年(1708年)に死去した。享年43。跡を五男・直祐が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 松平重栄の長女
側室
- 小牧氏
子女